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南加瀬
町丁
幸区日吉合同庁舎
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度32分45秒 東経139度39分44秒 / 北緯35.545839度 東経139.662256度 / 35.545839; 139.662256
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 川崎市
行政区幸区
地区日吉出張所
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口19,904 人
世帯数9,954 世帯
面積([2])
1.339987775 km²
人口密度14853.87 人/km²
設置日1985年(昭和60年)11月5日
郵便番号212-0055[3]
市外局番044(川崎MA)[4]
ナンバープレート川崎
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南加瀬(みなみかせ)は、神奈川県川崎市幸区の町名。現行行政地名は南加瀬1丁目から南加瀬5丁目。住居表示実施済み区域[5]。 川崎市幸区西部に位置し、北加瀬、矢上、小倉、鶴見川を跨いで横浜市鶴見区駒岡・上末吉、矢上川を跨いで横浜市港北区日吉と隣接する。幸区日吉出張所管区の中心的役割を果たしている。主に住宅地として利用されるが農地及び工業用地も混在する。南加瀬は、越路、夢見ヶ崎、中央、原、江川及び辻の六町内会からなり、行政上の丁目とは境界が異なる。町域内に加瀬山(標高約35m[6]、一部敷地は北加瀬)、夢見ヶ崎動物公園があり、南に神奈川県立三ツ池公園を、北は武蔵小杉方面を望むことができる。なお加瀬山周辺は急傾斜地崩壊危険区域
地理
河川
矢上川(鶴見川水系)
鶴見川
かつては小倉との境界付近に小倉用水があったが、現在は暗渠化されている。また、1942年(昭和17年)から1954年(昭和29年)まで、矢上川から現在の夢見ヶ崎小学校の前の道路を通って、現在の夢見ヶ崎動物公園前バス停付近の小倉用水まで用水路が掘られていた[8]。 住宅地の地価は2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば南加瀬2-36-5の地点で289,000円/m2[9]、南加瀬5-31-24の地点で269,000円/m2[10]となっている。 加瀬山には夢見ヶ崎古墳群(加瀬台古墳群)や、南加瀬貝塚などの遺跡が何箇所か存在する[6]。また、室町時代には太田道灌がこの地に築城を思い立ったが、野営した折に「一羽の白い鷲が私の兜を掴んで南西の地へ持っていってしまった」という夢を見る。その夢が不吉として築城をあきらめたとの伝説がある[11]。これが「夢見ヶ崎」の地名語源であり、現在でも南加瀬の一部を指す地名と商店街、少年野球のチーム名として残っている。
地価
歴史
沿革
1889年 橘樹郡南加瀬村が鹿島田村、小倉村、矢上村、駒林村、駒ヶ橋村、箕輪村と合併して日吉村が成立。その大字となる。
1937年 日吉村が横浜市と川崎市に分割編入される。大字南加瀬の大部分は川崎市に編入されたが、横浜市に編入された部分(字越路・新田・土腐・榎戸の矢上川以西)は神奈川区日吉町の一部となる。(現在の港北区日吉五丁目及び日吉六丁目の各一部。)
1972年4月1日 川崎市が政令指定都市となり、新設された幸区の大字となる。
1972年 夢見ヶ崎動物公園開園
1975年2月15日 横浜市港北区日吉町字新川向の一部を編入(現在の南加瀬五丁目38番付近[12][13]。元々は横浜市鶴見区駒岡町字新川向[14][15]の一部で、河川の改修によって飛地になっていた。)
1985年11月5日 住居表示が実施され、大字南加瀬を廃して新たに南加瀬1 - 5丁目の五町が設置される[16]。