南仲之町
町丁
国 日本
都道府県徳島県
市町村徳島市
地区東富田地区
人口(2011年(平成23年)6月徳島市の調査より)
? 合計284人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号770-0933
南仲之町(みなみなかのちょう)は、徳島県徳島市の町名。東富田地区に属している。南仲之町1丁目から南仲之町4丁目まである。
元は仲之町の裏通りで、合わせて仲之町と呼ばれることもある。
郵便番号は〒770-0933。 2011年6月。徳島市の調査より[1]。 世帯数人口 徳島市の中央部、都心地域(中心市街地)南部の東富田地区北部に位置する。東西の通りの両側に沿って伸びる町である。 西から1?4丁目。この丁番は、北の仲之町と富田浜の1?4丁目と東西の位置が揃っている。 1・2丁目間で直交する旧西横町沿いは伊月町2丁目、2・3丁目間の富田橋通り沿いは富田橋1丁目となっており、南仲之町の町は1丁目、2丁目、3・4丁目と3つに分断されている。2・3丁目間では通りも途切れている。 北は同じく東西に並走する仲之町で、一部を除き、平行する裏通が町境となっている。南は、南北に伸びる町が並んでいる。 西端は、両国橋通り直前の丁字路で通りが終わっており、その丁字路の西までが南仲之町である。東端はJR牟岐線が南北に走りかちどき橋(地名)との町境をなす。道はアンダーパスで線路の先へ進み、国道55号に入る。道はその先にも伸びているが、国道55号の中央分離帯に阻まれ向かいへは渡れない。 北の仲之町が商店街なのに対し、南仲之町はおよそ住宅街である。 仲 之 町 江戸時代には下級武士の武家町だった。中ノ丁(現 仲之町)の裏通りで、裏中ノ丁と呼ばれた。ただし現在の南仲之町より長く、西の秋田町(現 両国橋通り)から東の東横丁(現 かちどき橋通り)まで伸び、渡場通(現 富田橋通り)でも途切れずに交差点をなしていた。少なくとも1941年ごろまで、道は両国橋通りから現国道55号まで続いていた[2]。 現2丁目南側には、軍事拠点の枡形丁があった。 裏中ノ丁北側渡場筋入(ただし現在では富田橋1丁目)には、藩の儒官を代々勤めた那波家(那波魯堂から5代)の屋敷があった[3]。 もとは富田のちに富田浦町 1945年7月4日の徳島大空襲では著しく被災した。 町内に鉄道・国道・県道・バス停なし。ただしバスは、仲之町のバス停から徒歩数分以内である。
人口
1丁目061110
2丁目053095
3丁目019036
4丁目023043
計156284
地理
隣接する町
伊月町 富田橋
秋田町かちどき橋
南仲之町
伊月町 富田橋 明神町
歴史
交通
参考文献
『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
^ ⇒徳島市:人口・世帯数 - 徳島市情報推進課
^ 内町まちづくり協議会・徳島市内町公民館『写真で見る内町再発見 ひょうたん島今昔』2009年
^ 河野幸夫
外部リンク
⇒徳島市ホームページ
表
話
編
歴
徳島市の町名
A