南京国民政府の行政区分
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南京国民政府の行政区分では、1927年民国16年)の南京国民政府の発足から、国共内戦により中華民国政府が台湾に移転した1949年(民国38年)までの中華民国行政区分を概説する。

それまでの行政区分については南京臨時政府の行政区分ないし北京政府の行政区分を、1940年から1945年までの汪兆銘政権のものについては汪兆銘政権の行政区分を参照のこと。

1955年(民国44年)の大陳島撤退以降、中華民国政府の実効支配地域は台湾地区に限られているが、その範囲から外れる中国大陸部の行政区分は1949年時点のまま名目上廃止されていない。現在の台湾地区におけるものについては台湾の行政区分を参照。
概要

1927年(民国16年)、南京にて国民政府?介石政権)が成立すると、孫文の省県二級制に回帰し北京政府時代に設置された道制を廃止し、省、県、区、郷(保甲)等の行政制度が確立した。

この時代には中央政府直轄市、省政府管轄による普通市の設置が推進されると同時に、後に共産党勢力に対する軍事行動の必要性から行政督察区制度が新設され省と県の間の連絡監督業務を管轄し、実質的な三級制へと移行している。

南京国民政府では特別市の設置が推進されると同時に、省級特別区を省に改編する行政整理が進められた。1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い、旧満洲国地区及び台湾を接収、1947年(民国36年)6月には全国35省、12院轄市、57省轄市、209行政督察区、2016県、40設治局、1管理局、1地方を管轄していた。
省級行政区画
1936年までの沿革1936年時点の中華民国の行政区画

南京国民政府の成立とともに中華民国の首都は北京から南京に遷都し、これに伴い京兆地方は廃止され直隷省に編入されると同時に河北省と改称された。また熱河、綏遠、察哈爾、川辺の各特別区を改編し、9月17日に熱河省綏遠省察哈爾省青海省を設置、10月22日には甘粛省寧夏道地区に寧夏省が新設されている。1928年(民国17年)12月の東北易幟以降は東三省が南京国民政府の管轄下に入り、1929年(民国18年)1月28日に奉天省は遼寧省と改称され、1931年(民国20年)の満洲事変勃発前には27省、6直轄市、3行政区、2地方を管轄した(表1を参照)。

1924年(民国13年)、外モンゴルモンゴル人民共和国(モンゴル)が成立したが、南京国民政府は独立を承認せず、引き続き蒙古地方を維持した。また、満洲事変後によって東三省と熱河省も日本軍に占領され、1932年以降は満洲国の地方行政区画が設置されたが、こちらも南京国民政府は分離独立を承認せず、従来の4省を名目上維持し続けた。

類別数1931年時点の行政区域(表1)
27安徽 | 雲南 | 河南 | 河北 | 甘粛 | 広西 | 広東 | 貴州 | 吉林 | 江西 | 江蘇 | 黒竜江 | 湖南 | 湖北 | 山西 | 山東 | 四川 | 新疆 | 綏遠 | 青海 | 浙江 | 陝西 | 察哈爾 | 寧夏 | 熱河 | 福建 | 遼寧
院轄市6南京 | 上海 | 青島 | 漢口 | 天津 | 北平
行政区3威海衛行政区 | 東省特別行政区 | 川辺特別行政区
地方2西蔵地方 | 蒙古地方

1937年から1948年までの沿革1947年時点の中華民国の行政区画、モンゴルとの国境は未確定としている。

1937年(民国26年)、日中戦争が勃発すると首都・南京を日本軍に占領され、国民政府は武漢、ついで重慶に疎開している。戦争期間中、重慶は政治、軍事、経済の中心地となり、1938年に院轄市に昇格している。東省特別行政区は満洲国時代に消滅し各省級行政区画に編入されている。1939年に1月1日川辺特別行政区は西康省と改称された。

1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い満洲国の領域が国民政府の施政下に戻った。これに合わせ、政府は今まで省が抱えていた問題(後述)の解決を目指し、従来の東三省を遼寧省安東省遼北省吉林省松江省合江省黒竜江省嫩江省興安省の9省に再編した(東北新省区方案(中国語版))。1946年(民国35年)、中ソ友好同盟条約に基づき今まで独立を認めなかったモンゴルの独立を認め、蒙古地方が廃止された。ただし、内政部1947年(民国36年)発行の『中華民國行政區域簡表』で「その国境については未定」とした。

日本の敗戦に合わせ、国民政府は台湾島澎湖諸島を接収し、台湾省設置の準備を進めた。1945年(民国34年)8月29日に政府は陳儀台湾省行政長官に任命、8月31日には『台湾省行政長官公署組織大綱』を策定、10月2日に台北に台湾省行政長官公署が設置され、下部に9市8県を管轄する行政機構が設置された。その後、1947年(民国36年)に二・二八事件が勃発すると、政府は事件を鎮圧する一方で台湾省行政長官公署を廃止し、5月17日に台湾省を正式に発足させた。これにより、中華民国政府が発足[注釈 1]した1948年(民国37年)時点で、新政府は35省、12院轄市、1地方を管轄した(表2を参照)。

類別数1948年時点の行政区域(表2)
省35安徽 | 安東 | 雲南 | 河南 | 河北 | 甘粛 | 広西 | 広東 | 貴州 | 吉林 | 興安 | 合江 | 江西 | 江蘇 | 黒竜江 | 湖南 | 湖北 | 山西 | 山東 | 松江 | 四川 | 新疆 | 綏遠 | 青海 | 西康 | 浙江 | 陝西 | 台湾 | 察哈爾 | 嫩江 | 寧夏 | 熱河 | 福建 | 遼寧 | 遼北


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