南アフリカ軍
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南アフリカ国防軍
South African National Defence Force
南アフリカ国防軍の軍旗
創設1994年
派生組織リスト

南アフリカ陸軍
南アフリカ海軍
南アフリカ空軍
南アフリカ総合医療部隊

本部ハウテン州ツワネ市都市圏(プレトリア
指揮官
司令官リスト

最高司令官: シリル・ラマポーザ大統領
国防大臣:モシウオア・レコタ
アフリカ民族会議
国防大臣名:国防大臣

総人員
徴兵制度リスト

情報年度:2005
兵役適齢:18
適齢総数:20,981,319
女性適齢総数:10,626,550
実務総数:9,536,828
女性実務総数:4,609,071
年間適齢到達人数:101,925
年間女性適齢到達人数:506,078
現役軍人数:55,750
順位:67

財政
予算37億 USドル(2007)
軍費/GDP1.3 %(2007)
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南アフリカ国防軍記念像

南アフリカ国防軍(みなみアフリカこくぼうぐん、英語: South African National Defence Force、略称:SANDF)は、南アフリカ共和国軍隊である。
目次

1 概要

2 歴史

3 南アフリカ陸軍

4 南アフリカ海軍

5 南アフリカ空軍

6 南アフリカ総合医療部隊

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要

3軍と統合医療部隊で構成されている。これら4軍は統合作戦機関によって統括されるが、特殊部隊旅団は統合作戦機関から直接指令を受けて作戦を実行する。
歴史「en:Military history of South Africa」も参照

ボーア戦争後の南アフリカ軍の歴史は、南アフリカ連邦成立後の1912年に編成された南アフリカ連邦防衛軍(英語版)を発祥とする。当初は英軍の予備部隊として誕生した。

1966年に南アフリカの国防大臣となったピーター・ウィレム・ボータは同年に始まる南アフリカ国境紛争(英語版)を担当した際に国内の治安維持に特化していた南アフリカ防衛軍(英語版)(SADF)を国外の脅威に対処できる軍隊につくりかえる必要性を認識し[1]、特に国際連合経済制裁が武器禁輸として本格化してからは同じアフリカの白人国家でありながらも軽歩兵が中心で工業力の弱さから装甲車などが十分とは言えなかったローデシア軍と異なり、他のアフリカ諸国よりも近代的で優れた軍事力を持つことに努めた[2][3][4][5]。その後、生物兵器化学兵器核兵器といった大量破壊兵器も保有するようになり[6][7]、首相や大統領として南アフリカの指導者となったボータはさらに防衛力を重視して軍備を強化し続けた[8]

1975年からは南アフリカ領南西アフリカナミビア)の国境紛争だけでなく、隣国のアンゴラに武力侵攻するサバンナ作戦(英語版)を開始してアンゴラ内戦にも直接介入するようになった。特に1987年から1988年にかけて南アフリカの支援するアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と対立していたアンゴラ解放人民運動(MPLA)とその後ろ盾のキューバ軍と交戦したクイト・クアナヴァレの戦い(英語版)は第二次世界大戦以来のアフリカ大陸での大規模な戦闘ともされた[9]

1994年のアパルトヘイト政策廃止に伴い、白人中心の南アフリカ防衛軍を再編成する形で設立された。白人黒人混成の対ゲリラ軽歩兵大隊の第32大隊はアパルトヘイト時代の行為を原因として、ネルソン・マンデラ政権によって縮小・解体された。この時にはバントゥースタンのうち「独立国」となっていたトランスカイボプタツワナヴェンダシスカイの軍隊[10]の兵員や、アフリカ民族会議インカタ自由党、パン・アフリカニスト会議の武装勢力[11]の構成員が編入されており、現在SANDFの兵員は黒人70.6%、白人15.7%、カラード12.6%、インド系1.1%で構成されている。


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