南 こうせつ
出生名南 高節
別名おいちゃん
生誕 (1949-02-13) 1949年2月13日(75歳)
出身地 日本・大分県大分市(旧:大分郡竹中村)
学歴明治学院大学中退
ジャンルフォーク
職業フォークシンガー
担当楽器ボーカル
ハーモニカ
フォークギター
活動期間1970年 - 現在
レーベル日本クラウン / PANAM
(1976年 - 1979年、2001年 - )
日本クラウン / ORPLID
(1979年 - 1980年)
キャニオン・レコード→ポニーキャニオン / SOH
(1981年 - 1999年)
事務所ベリーファーム
共同作業者かぐや姫
公式サイト南こうせつ ホームページ
南 こうせつ(みなみ こうせつ、本名:南 高節、1949年〈昭和24年〉2月13日 - )は、日本のフォークシンガー・元かぐや姫のリーダー。ベリーファーム所属。
大分県大分市竹中(旧:大分郡竹中村)出身。大分県立大分舞鶴高等学校卒業、明治学院大学社会学部中退。妻はエッセイストの南いくよ(南育代)。
かぐや姫時代に「神田川」が大ヒットし、続けて「赤ちょうちん」「妹」がヒット。解散後のソロ活動においても「夢一夜」「夏の少女」などのヒット曲を生んでいる。現在、大分県杵築市在住。 3人兄弟の三男で、実家は曹洞宗勝光寺。出身地の竹中と言う地名は、かぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。 1970年4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、大島三平
来歴
1976年3月、日本武道館で、日本人ソロ・シンガーソングライターとしては初めてのワンマン公演を開催する。同年5月には追加公演も行われた。
1980年代はオールナイトの野外コンサート『サマー・ピクニック』を毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。
1983年6月には、フジテレビ系列「ミュージックフェア」にて、ジョン・デンバーとデュエットで「故郷へかえりたい」を歌った。その後2人は親交を深め、翌年琵琶湖で行われた「世界湖沼会議」の前夜祭にてジョンとともにライブを行った。また1990年には、ジョンとのデュエット作品『岩を砕く花のように』を発売している。
1993年12月1日に福岡ドーム、12月2日に東京ドームで行なわれたサイモン&ガーファンクルの来日コンサート「Event of a lifetime Tour」東京公演で、前座を務めた。その中で、こうせつ自身が(自身も尊敬する)「サイモン&ガーファンクルの前座で緊張してんだぞ」と発言した。
2009年9月には、こうせつの還暦記念として、つま恋でサマー・ピクニック・コンサートが行われ、約2万人の観客を集めた。
2010年6月13日放送の『ザ☆スター』で、杵築の自宅の広大な土地で気に入った樹木を植えて育てている様子が紹介された。仕事を終えて自宅に戻ると、決まってそれらの樹と話をするという。また、家庭菜園にも勤しんでいると紹介された。さらに同番組で、南の歌声を日本音響研究所で分析したところ、通常人には聞こえない超音波の域まで声が出ていることと、風鈴や梵鐘の音にみられるようなゆらぎがあって、聞く者に癒しを与えるという結果が出た。
2014年1月1日に発売された「3B junior(ももいろクローバーZ・私立恵比寿中学・チームしゃちほこ・たこやきレインボー)」を象徴する歌となる「七色のスターダスト」の作曲を手掛ける。
宝くじ文化公演事業・まちの音楽会では、古筝演奏家の伍芳とジョイント・コンサートを行っている。 名前を平仮名表記にしているのは、レコードに印刷された「南高節」という文字を見て、「私はこの『なんこうぶし』という曲を聴いてみたい」と近所に住んでいた老人が発言したから、と本人が「徹子の部屋」や「TALKゲリラ
人物
エピソード
かつて、大の飛行機嫌いであったため、国内移動ではできる限り陸路を使っていた。過去に飛行機での移動がストレスとなり、あまりの恐怖で手にカビが生えるという奇病にかかったことがある。