卓球
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「テーブルテニス」はこの項目へ転送されています。コンピュータゲームについては「テーブルテニス (コンピュータゲーム)」をご覧ください。

卓球
2011年ITTFワールドツアーグランドファイナル女子ダブルスの試合
統括団体国際卓球連盟
通称ピンポン
起源ジュ・ド・ポーム等の中世のテニスをもとに近代に考案
特徴
身体接触無
選手数2人(シングルス)あるいは4人(ダブルス)
男女混合有。男女混合ダブルス(ミックスダブルス)
カテゴリ屋内競技、球技、ラケットスポーツ
ボールプラスチック製で直径40 mmの中空球 (ラージボールでは44 mm)
実施状況
オリンピック1988年-
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卓球(たっきゅう、: Table tennis)は球技の一種である。2人(あるいは2組のペア)のプレーヤーがテーブルをはさんで向かい合い、対戦相手のコートへとプラスチック製のボールラケットで打ち合って、得点を競う。

他のネット型球技と同じく「ボールを交互にリターン(返球)し合い、相手がリターンできないようリターンをした者が得点する」という典型的な形式のラケットスポーツである(⇒#ルール)。一方で、ボールの回転(スピン)の影響が大きく、スピンを利用した多様な打法があり(⇒#打法)、打法に特化した多くのプレースタイルがある(⇒#戦型)。こういったプレーの多様性から、ラケット等の用具も様々な特徴のものが開発されている(⇒#用具)。対戦者間の距離は3メートル程度と非常に近い為に表情や手指といった互いの細かな所作が観察可能であり[1]、心理的な駆け引き[2]やメンタル[3][4][5]も勝敗に影響するなど、「究極の対人競技」[1]とも評される。競技スポーツとしては体力と知性の双方に高い水準が求められ[6]、トッププレーヤーに至っては「心技体智」のすべてに一流であることが要求されるスポーツである[1]
歴史
卓球の誕生初期の「ピンポン」の製品。写真はパーカー・ブラザーズ社製のもの。ラケットとネット、ボール、および当時のルールブックが同梱されている。

卓球は、ジュ・ド・ポームなどの中世テニスゲームをもとに、1880年代イギリスで考案されたとされる[注釈 1][7]。1891年に、ゲーム用品・スポーツ用品メーカーのジャック・オブ・ロンドン社が「ゴシマ」という商標で、現在の「卓球用具一式」のような商品を発売している[注釈 2][注釈 3][7]。同社は1900年に、これまでコルク製であったボールをセルロイド[注釈 4]に改良した。このボールを打つ際の音にちなんで「ピンポン (Ping Pong)」と命名して売り出したところ製品はヒットし、瞬く間にイギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国を中心に普及した[注釈 5][7]。この際に「ピンポン」とともに「卓球(Table Tennis)」の呼称も一般化し[7]、これが現在の競技名となっている。La Vie au grand air誌(1901年)に掲載された当時の卓球の様子。
初期の卓球

卓球の発祥国であるイギリスにおいては、当初は二つの協会が並立するも[注釈 6]、ほどなく統合されて英国卓球協会(現・卓球イングランド(英語版)[8])となり、1922年には同国で卓球の「標準ルール」が定められ、競技スポーツとしての発展が進んだ[7]

1900年代頃には、欧州ゴム製のラバー[注釈 7]が開発され、ラバーを貼り付けたラケットが主流となった[9]。この当時は、それほど強い打球ができなかったことやコートを仕切るネットが高かったこともあり[10]、卓球は守りに徹した方が有利なスポーツであった。たとえば、1点を取るのに2時間以上かかったという記録も残っている[注釈 8][10]
国際的な普及

卓球が国際的な競技スポーツとなるに際して、統一されたルール下での国際大会を円滑に運営するために、国際卓球連盟 (略称: ITTF[11])が1926年に発足している[7]。同年には、ロンドンで最初の世界卓球選手権が開催され、男女の各シングルス部門ではローランド・ヤコビメドニヤンスキ・マリア(ともにハンガリー代表)がそれぞれ初代のチャンピオンとなった。

この頃に、各国でも卓球の国内管理組織が設立されている。たとえば、ドイツでは1925年にドイツ卓球連盟(ドイツ語版)[12]が、スウェーデンでは1926年にスウェーデン卓球協会(スウェーデン語版)[13]が、フランスでは1927年にフランス卓球連盟(フランス語版)[14]が、日本では1929年に日本卓球会(現在の日本卓球協会 (JTTA))[15]が、アメリカでは1933年に現・USAテーブル・テニス(英語版)[16]がそれぞれ設立されている。
日本への普及日本で最初にピンポンをした場所にある碑(岡山市)

卓球の日本への普及については、1902年に東京高等師範学校教授の坪井玄道フランスから用具一式を日本に持ち込み、坪井の普及活動を契機に国内へ広まったとされる[17]。一方で、山田耕筰の著作によると、より早い1901年には「岡山で卓球をした」という記録もある[注釈 9][18]

1937年には、日本では初となる国際試合が行われた。この際に、日本選手はハンガリーの元世界チャンピオンと対戦している。当時の日本卓球界にはまだラバー(上記)が普及しておらず、ラバーが貼られたラケットを用いる選手とは初の対戦であった[9]。日本選手はラケットに何も貼っていない状態[注釈 10]でありながらも、好成績を収めた[9]
第二次世界大戦後?現在

第二次世界大戦後には、卓球はさらに競技スポーツとしての発展が進み[注釈 11]ヨーロッパのみならずアジアでの普及・発展が特に進んだ。中国では中国卓球協会(英語版)、台湾では中華民国卓球協会[19]韓国では大韓卓球協会(朝鮮語版)[20]といった組織が各国等でそれぞれ発足している。


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