午後の曳航
[Wikipedia|▼Menu]

午後の曳航
訳題The Sailor Who Fell from Grace with the Sea
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル長編小説
発表形態書き下ろし
刊本情報
出版元講談社
出版年月日1963年9月10日
装幀麹谷宏
口絵写真(著者肖像1頁、撮影:今井寿恵
総ページ数260
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

『午後の曳航』(ごごのえいこう)は、三島由紀夫長編小説横浜山手を舞台に、ブティックを経営する未亡人と息子、その女性に恋する外国航路専門の船員とが織り成す人間模様と、少年たちの残酷性を描いた作品。前編「夏」、後編「冬」から成る。構成としては、前編はごく普通のメロドラマとして終わり、後編でその世界が崩壊していく様が書かれている。なお、モデルとなったブティックは横浜元町に現存する高級洋品店「THE POPPY」である[1][2]

1963年(昭和38年)9月10日に書き下ろし講談社より刊行された[3][4][注釈 1]。刊行される前の予定されていた題名は、「海の英雄」であった[2]。文庫版は新潮文庫で刊行されている。翻訳版は1965年(昭和40年)のジョン・ネイスン訳(英題:The Sailor Who Fell from Grace with the Sea)をはじめ世界各国で行われている[5]

翻案作としては、三島没後の1976年(昭和51年)に、サラ・マイルズクリス・クリストファーソン主演で日米英合作の映画化がなされた[4]。また、ドイツの作曲家・ハンス・ヴェルナー・ヘンツェによる歌劇『裏切られた海』(Das verratene Meer)の原作にもなり、ベルリン・ドイツ・オペラ1990年(平成2年)5月5日に初演された[6]
あらすじ

横浜市中区山手町谷戸坂上にある家に母・黒田房子と住む13歳の登は、自分の部屋の大抽斗(ひきだし)を抜き取ったところに覗き穴があるのを偶然発見した。この家はアメリカ占領軍に接収され、その家族が一時住み洋風に改築された家だった。覗き穴からは母の部屋がよく見え、夜、裸体で自慰をする母を登は見たりしていた。房子は5年前に夫を亡くしていた。その後は夫に代わり、元町の輸入洋品店のレックスを房子が取り仕切っていた。

ある夏休みの夜、登が覗き穴を見ると、二等航海士・塚崎竜二が裸で立っていて、母が脱衣しているところであった。開け広げた窓から横浜港の汽笛が響いてきた。男が海のほうを振り向いた光景を見た登は、奇蹟の瞬間だと思い感動する。房子は船マニアの登にねだられて、貨物船見学を店の顧客の船会社重役に頼んで許可してもらい、前日に航海士の塚崎竜二と出会ったのであった。

竜二は、海に「栄光」や「大義」があると思っている孤独な風情のある逞しい男で、登はそんな竜二を「英雄」として見て憧れた。そのことを遊び仲間の同級生グループに得意げに報告していた。この少年グループの首領は、「世界の圧倒的な虚しさ」を考察し、他の少年たちに猫を解剖することを命じた。また、父親や教師の大罪について教授し、集まる数名の少年たちを「1号」「2号」などと番号で呼んでいた(登は「3号」だった)。

やがて、竜二は房子の舶来洋品店・レックスを一緒に経営するために接待用に英会話のテレビを見たり、一般教養のために下らない美術書や文学書を読み始め、店の経営のことを勉強したりするようになった。海の男・竜二を羨望していた登は戸惑い失望する。そして、ついに2人が結婚することとなり、「英雄」だった存在が「父親」となり、憧れていた船乗りの竜二が、この世の凡俗に属していくのを裏切りと登は感じる。そのことを登は首領に報告する。首領は、3号(登)を裏切った竜二を処刑しなければならない、そいつをもう一度英雄にしてやるんだと提言し、みんなに竜二の処刑を命令する。

登は竜二に、友だちにパパの航海の話をしてほしいと言い、彼を金沢区富岡の丘の上にある洞穴に案内した。竜二をおびき寄せた少年たちは睡眠薬を混ぜた紅茶と、メスやゴム手袋を隠し持っていた。
作品評価・研究

『午後の曳航』は、同時期の『絹と明察』と同様に、〈父親といふテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描かうとしたもの〉で、現代社会における父親という存在をめぐる考察がテーマとして掲げられている[4][7]。またこの作品は、国内外で高い評価を受け、1967年(昭和42年)5月1日には、三島の短編集『真夏の死』がフォルメントール国際文学賞第2位受賞した際、『午後の曳航』も候補作品に挙げられた[8][注釈 2]。翻訳者のジョン・ネイスンも高い評価をし[9]、三島由紀夫と同世代の作家・司馬遼太郎も、三島事件に関する文章で、この作品を真に傑作と位置づけている。なお、『午後の曳航』担当編集者の回想に、川島勝『三島由紀夫』(文藝春秋、1996年2月)がある[10]

日沼倫太郎は、『午後の曳航』が発表された当時、この「成功作」の背後に「苦渋」を看取し、三島文学の中でも注目すべき転換的作品として以下のように捉えている[11]。かりに成功作だとしても、その成功が三島氏にとって栄光なのか悲惨なのかがわからない。というのはこの作品は、いままで三島氏がたえて私たちに見せてくれなかった素顔の苦渋のようなもの、精神の晦暗さのようなものを、ある程度かいまみせてくれている作品だからである。あるいはこういってもよい。三島氏の『午後の曳航』は、三島氏の青春の完璧な死とともに訪れた。(中略)そこからのあたらしい旅立ちといった事態の困難さを予想させる作品である、と。 ? 日沼倫太郎「読書」[11]

田坂昂は、『午後の曳航』の二部構成の「夏」と「冬」は、「海」と「陸」といってもよいとし、三島にとっての「戦前・戦中」と「戦後」にも置き換えられると見ている[12]。そして、竜二が振り向いた海からの汽笛(「海の潮の情念のあらゆるもの」を満載して響いてくる「海そのものの叫び声」)を「ディオニュソス」と捉え、それは三島が「古事記」論[13] で言及している純粋天皇・神的天皇・ヤマトタケルに置き換えられるとしている[12]

田中美代子は、海の男だった龍二が陸に上がり、商店経営者の〈父親〉になることは、少年たちにとって、〈大義〉のために〈死と栄光〉に向かうことを放棄した姿であり、それは他ならぬ「去勢された男の代表者」、「つね日ごろ自分たちが少年の夢と純潔とを絞殺している殺人者」だとして、少年たちが「自分たちの未来の姿」でもあるその男を死刑に処する意味を解説している[14]

高橋睦郎は、『午後の曳航』について、「この作品の主人公は少年たちなのだということがよくわかる。小説家三島由紀夫の死は、少年平岡公威が大人の三島由紀夫を罰した刑罰だったという気さえしてくる」と考察している[15]

柴田勝二は、作中内の少年たちは「非力」な存在であり、「普遍的な力を持ちえないことによってさらにイロニー化される」と指摘して[4]、「核家族化する戦後社会の家庭において、父親が求心力を失って中心の位置を占めなくなった状況への指弾が少年たちに担わされた役割」になっていると解説している[4]。佐藤秀明はそれを敷衍し、少年たちは、「“非力”なるがゆえに全能感を持つという小説内の論理を背負っている」と解説している[16]

また佐藤は、村松剛が、「子供たちの夢みがちで残忍な眼」を捉えて、『午後の曳航』を「“メルヘン”(“おとなのための童話”)」と呼んだことに触れて、「“非力”なるがゆえの全能感という転倒した論理が、現実的には“メルヘン”に見える」というその視点は、村松が解説時には妥当であったが、『午後の曳航』の発表から何十年も経過した近年において、それが単なる架空ではなくなり、「“メルヘン”ではない少年少女」が現実社会に出現してしまったことに言及しながら[16]神戸連続児童殺傷事件の犯人の少年「酒鬼薔薇聖斗」のような存在の出現をはからずも予見していた『午後の曳航』は、「人間の極北」を見た作者・三島が、「人間のを“メルヘン”ではなく可能性として描いてしまった先見の小説」だったと解説し[16]、この「毒」のある作品を、「私たちの常識や価値観に大きな揺さぶりをかける、その意味では真に文学的な傑作である」と評している[16]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:69 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef