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千里ニュータウン
Senri New Town
ニュータウン
千里中央付近を上空から俯瞰(2005年)
国 日本
都道府県 大阪府
市町村 豊中市
吹田市
開発期間1961年7月 - 1970年3月
(開発者:大阪府企業局)
名の由来千里丘陵の位置に造成
面積
? 合計(開発面積)
1,160 ha
人口(住民基本台帳)[1]
? 合計(2,020年9月・10月)
101,551人
千里ニュータウン(せんりニュータウン、英: Senri New Town)は、大阪府豊中市・吹田市に跨る千里丘陵を開発し造成されたニュータウンである。開発主体は大阪府企業局で、開発面積は約1,160ha、計画人口は150,000人。
日本で最初に造られた大規模ニュータウン[注釈 1] であり、開発開始後の1963年に制定された新住宅市街地開発法(新住法)の初の適用対象となるなど、その後の多摩ニュータウン(東京都)や港北ニュータウン(神奈川県横浜市)をはじめとする各地のニュータウン開発に大きな影響を与えた。
1962年の初入居からすでに60年以上が経過し、住民の高齢化、ニュータウン周辺の都市化、地域商業の衰退と再生、交通網の再整備、住宅団地の建替えとリノベーションといった現象が進行している。
2003年、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定された。 大阪市中心部から北へ約12kmの地点に位置している人口約96000人の住宅都市である。豊中市・吹田市に跨る地域にあり、南北約5km、東西約4kmに収まる約1,160haの広さを誇る。豊中市域は新千里東町
概要
後半に建設された住区は住区内を結ぶ歩行者専用道路が設けられた。ニュータウン計画以前から丘陵上に位置する上新田の集落は、「開発反対」派の住民説得に時間がかかり過ぎるとの判断から、同じく丘陵上に位置する大阪市立弘済院(古江台6丁目)と共に計画地域から除外され(大阪万博の開催は決まっており、それより開発が遅れるのを嫌った、という行政側の判断による)、大字も現行町名(1973年実施)に踏襲されている。
各住区ごとに小学校[3]、近隣センター、診療所群などを計画的に配置し、歩車分離を徹底するなど、当時としては斬新な近代的都市を目指した。しかし、モータリゼーションの到来を予測しきれず駐車場が不足し、多くの緑地を駐車場に転用せざるを得なくなったこと、将来の諸施設導入を見越した空地を十分に確保できていなかったため、その後の社会の変化により必要となった諸設備をニュータウン内に設置することが困難、などの問題点もあった。それらの新たに必要となった諸設備は、ニュータウン周辺に確保されていた周辺緑地や、ニュータウン隣接地、ニュータウンに囲まれた上新田地区に多く残されていた竹薮や森を切り開いて、数多く作られることになった。
近隣住区の中心となる地区センター(千里中央・北千里・南千里)には、より大規模な都市施設が配置され、なかでも新千里東町にある千里中央駅周辺には、千里ニュータウン全体の中心として、百貨店、ショッピングセンター、レジャーセンターのほか、地域ガス供給施設、企業の電算センターなどが集積している。
近隣住区には近隣センターが置かれた。しかし、商業環境の変化に伴い、中規模スーパーを主体としていた近隣センターからは客足が遠のいていった。現在では多くの店が退店し、いずれの地域センターもかつての賑わいはない。商業施設は両センターと商業地区となった津雲台7丁目・桃山台駅前および、例外的に店舗の出店が認められている新千里南町の旧大阪中央環状線沿いに限られており、コンビニエンスストアの主出店地であるロードサイドへの出店は津雲台7丁目や旧大阪中央環状線沿いを除き禁止されているためコンビニエンスストアの出店がかなり遅れ、当初は津雲台7丁目や旧大阪中央環状線沿い及びニュータウン周辺部・上新田地区及びニュータウン内の大規模病院内に限られていた。千里中央地区など各鉄道駅周辺に出店されたのも最近であり、近隣センターのコンビニエンスストア立地も数ヶ所に留まっており、退店したところもある。千里で日本万国博覧会が開催される前の1969年から約1年間、豊中市の公団(現UR)新千里東町団地および吹田市の公団千里竹見台団地は、各国からパビリオンに派遣された職員たちの外人村となっていた。
大阪府営住宅には当初、浴室が設置されていなかったため、吹田市竹見台以外の各住区には銭湯が一か所ずつ設置されていたが、1970年代後半から順次増築に伴う浴室設置が進められた結果、1980年代には銭湯の廃業が相次ぎ、天然温泉を掘り当てて生き残っていた太陽温泉(豊中市新千里南町)も、周辺に天然温泉を備えたスーパー銭湯の開業が相次いだことにより、2010年12月に閉鎖されすべて無くなった。
戸建て住宅は一区画百坪前後とゆったりした配置で高級住宅地を形成していたが、バブル経済期には地価高騰により一区画の価格が億単位となり、相続等を契機に元の区画を分割して販売され住環境の密集化が問題となった。また、中高層住宅については容積率に比較的余裕のある設計がされていたこともあり、一部に建て替え工事も行われている。
道路や公園などの社会基盤施設は大阪府が管理していたが、開設20周年目に予定通り豊中市及び吹田市に引き継がれた。緑地が多く、全体としては自然環境に恵まれているが、交通量の多い新御堂筋(国道423号)や大阪府道2号大阪中央環状線の近辺、特にそれらが交差する千里インターチェンジ付近を中心に、地域によっては大気汚染や騒音の影響を強く受けている場所もある。
高度成長期の中核的労働力である比較的年齢層の近い核家族世帯が短期間に集中して入居したため、現在は、初期入居世帯の世帯主の現役引退・高齢化が懸念されている。
一方、各種施設の充実や都心へのアクセスの良さや住宅環境から、現在でも居住地としての人気を保っており、老朽化した集合住宅の建替に伴う高層化に伴う住居数の増加や、社宅地域の建て替えによる民間マンションの分譲により、若年層の新住民が再び増加しつつある。また、UR都市機構(旧日本住宅公団)管理の団地においては、無印良品とコラボレーションしたリノベーション住宅(MUJI×UR)を提供し若年層の入居者が増加するなど、築古団地の魅力の発信に力を入れ、一定の成果を上げている。