千葉繁
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千葉茂」とは異なります。

ちば しげる
千葉 繁
プロフィール
本名前田 正治(まえだ まさはる)[1][2][3][4]
愛称千葉先生[5]、ちばしー[5]、千葉ちゃん[2]
性別男性
出身地 日本熊本県宇土郡不知火町(現:宇城市[4][6][注 1]
生年月日 (1954-02-04) 1954年2月4日(70歳)
血液型O型[9]
職業声優俳優[9]タレント音響監督
事務所81プロデュース[10]
配偶者あり[2][3][11]
公式サイト千葉繁 - 81プロデュースの公式サイト
公称サイズ(時期不明)[12]
身長 / 体重166 cm / 50.5 kg

声優活動
活動期間1976年[13] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作野球部員A(『ドカベン[14][15]
タレント活動
活動期間1971年[16] -
ジャンルテレビドラマ映画舞台バラエティ
デビュー作『一心太助[16]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

千葉 繁(ちば しげる[注 2]1954年2月4日[2][17][18] - )は、日本声優俳優[9]タレント音響監督熊本県宇土郡不知火町(現:宇城市)出身[4][6][注 1]81プロデュース所属[10]C&Oアクターズスタジオ所長[19][20]日本工学院専門学校俳優・声優科講師[19][20]
略歴

東京文化学苑卒業[1]。東京宝映タレント養成所出身[21]。劇団フジ、劇団東芸、プロダクションエム・スリー[2][22][23]を経て81プロデュースに所属[10]

最初に目指していたものは宇宙飛行士だった[14]

中学卒業後、集団就職で熊本から上京して日立横浜工場で働き始める[1][2][22]。仕事はテレビの最終審査をしていた[1][3]。偶々調整中のテレビ画面を見ていたところ「この中にオレが映ったらどうなるかな?」とひらめていて、これが芝居の世界に足を突っ込むきっかけとなった[1][2][3]。働きながら勉強する苦学の日々を送る中、「歌手になるんだ」と言っていた鹿児島県出身の同僚の友人と参加した劇団フジのオーディションに合格、役者業に転向する[1][2][3][13][24]。当時の審査員は成田三樹夫千葉真一三條美紀などだった[21]。オーディションの際、ロビーで待っている時に突如現れた成田がトイレに行く時に、千葉の目の前を偶々通りがかり、「お、成田さんだ!すごい」と思っていた瞬間、「せっかく来たんだから君も受けてみない?」と声をかけてくれたという[24]。そして言われるがままに、書類もなしで台本を朗読させられ、後日合格したという[24]。その友人は落ちた[24]

1971年、テレビドラマ『一心太助』でデビュー[16]。次の日にガールフレンドと鶴岡八幡宮に遊びに行って、おみくじを引いたところ「いまの仕事は大凶」と出て、次の日に辞表を出して、退社したという[1][2][3][22]。そのガールフレンドとも、その時限りで会わなくなったという[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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