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凡例千葉氏胤
時代南北朝時代
生誕延元2年/建武4年5月11日(1337年6月10日)
死没正平20年/貞治4年9月13日(1365年9月28日)
別名千葉介
官位従五位下
幕府室町幕府 上総・下総・伊賀守護
主君足利尊氏→義詮
氏族千葉氏
父母父:千葉貞胤、母:曾谷教信姪
兄弟一胤、氏胤
妻新田義貞娘
子満胤、馬場重胤、原胤高、聖聡
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千葉 氏胤(ちば うじたね)は、南北朝時代の武将。千葉氏第13代当主。上総国・下総国・伊賀国守護。 延元2年/建武4年(1337年)、11代当主・千葉貞胤の次男として京都で生まれる。正平6年/観応2年(1351年)、父貞胤が死去。兄の一胤は正式な家督相続前に戦死していたため、氏胤が跡を継ぐこととなり、上総・下総・伊賀3カ国の守護職を継承した。同年、足利尊氏に与して足利直義軍と戦い、上杉憲顕を破るという大功を挙げた。翌年にも南朝勢力である新田義宗と戦ってこれを破るなど、武功を多く挙げている。 しかし正平20年/貞治4年(1365年)、京都にて病となり、帰国途中の美濃国において重態に陥って、同年9月13日に死去。享年29。 死後、家督は子・満胤が継いだ。また、一子・聖聡は浄土宗の僧となり、増上寺を創建したことで知られる。なお、『千学集抄』によれば、室町時代後期の下総千葉氏の当主千葉輔胤(系譜上では第21代当主とされる)は馬場重胤
生涯
歌人としても優れ、『新千載和歌集』では多くの歌が残されている。
系譜
父:千葉貞胤
母:曾谷教信姪
妻:新田義貞娘
男子:千葉満胤
男子:聖聡
生母不明の子女
男子:馬場重胤
男子:原胤高
脚注
注釈
出典
表
話
編
歴
千葉氏第13代当主(1351年 - 1365年)
宗家
常兼
常重
常胤
胤正
成胤
胤綱
時胤
頼胤
宗胤
胤宗
貞胤
一胤
氏胤
満胤