千波湖
国土地理院2012年10月13日撮影
所在地 日本 茨城県水戸市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度22分12秒 東経140度27分35秒 / 北緯36.37度 東経140.4597度 / 36.37; 140.4597
千波湖(せんばこ)は、茨城県水戸市の中心市街地近くに位置する那珂川水系に属する淡水湖である。成立形式は堰止湖で、大正末期から昭和前期に行われた改修事業により現在の姿となった。湖北西にある偕楽園の借景としての価値を持ち、水戸のシンボルとも云われる湖沼である[1][2][3][4]。 千波湖は水戸市の中心市街地近くにある周囲3キロメートル、平均水深1メートルのヒョウタン型をした底浅の淡水湖である[5]。南北を台地に挟まれ、桜川が西から東へ湖北岸に沿って流れている。河川法上はこの桜川に含まれると規定されている[6]。湖北西の崖上には日本三名園のひとつ偕楽園がある。偕楽園から千波湖を見た景色や、千波湖から市中心市街地を見た景色は水戸を代表する景観であり、「水の都」を自負する水戸のシンボルとも表現される湖沼である[7][8][2][3]。 千波湖の原型は今から5000年から3000年前に古那珂川の堆積物により古桜川が堰き止められて出来た沼地である。このように川の堰き止めによって成立した湖沼を「堰止湖」と呼ぶ。時は下り水戸藩が城下町の整備のため、沼地を護岸し囲い込んだことにより湖沼「千波湖」が成立した。この時の千波湖は現在の姿より3倍程広く、東端は今の柳堤堰がある辺りまであった。当時、千波湖北東の高台にあった水戸城にとって千波湖は天然の外堀でもあった。また湖南東端には「備前堀」と呼ばれる水路が造られ、千波湖から周辺の水田へ水が供給された。大正末期から昭和前期にかけて千波湖の東側を埋め立てる工事が行われ、現在の千波湖の姿となる。この工事によりそれまで直接流入していた桜川、逆川と切り離され、ほぼ閉鎖された水空間となった[1][9][10]。 湖内には人工の浮島が1つ、噴水が3基設置されている。湖西岸には貸しボート屋があり湖上の遊覧を楽しむことができる。外周はジョギングコースとして整備され、散歩やジョギングを行う市民が集っている。湖南側は芝地が拡がる公園となっており市民のレジャーの場として、また各種イベントの会場として活用されている[11][12][13][14][15]。
概要