せんもと さちお
千本 倖生
生誕 (1942-09-09) 1942年9月9日(81歳)
日本 奈良県奈良市
出身校京都大学工学部電子工学科卒業
フロリダ大学修士課程・博士課程修了、工学博士(電子工学)
職業連続起業家
実業家
教育者
活動期間1966年 - 現在
団体株式会社レノバ取締役会長
公益財団法人千本財団代表理事
著名な実績DDI(現在のKDDI)共同創業者
イー・アクセス株式会社創業者
イー・モバイル創業者
影響を受けたもの稲盛和夫
松下幸之助
小倉昌男
公式サイト千本倖生
千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日 - )は、日本の連続起業家、実業家、教育者。
日本電信電話公社(現在のNTT)を経て、DDI(第二電電、現KDDI)を共同創業した。その後慶應義塾大学教授に転じた。イー・アクセス株式会社、続いてイー・モバイル(現Y!モバイル)を創業し、両社の代表取締役社長、会長を務めた後、同社取締役名誉会長を務めた[1]。2014年3月に同社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。2017年9月に公益財団法人千本財団を設立、代表理事を務める。 日本における通信事業開拓者として知られる人物である。京都大学卒業後、日本電信電話公社に入社。フルブライト奨学生としてフロリダ大学へ留学し、電子工学の修士・博士(Ph.D.)の学位を取得。 電電公社近畿電気通信局部長(当時42歳)時代に自社・電電公社の通信独占状態に疑問を持ち、同社を退社。新しい通信事業会社の構想を京セラ社長(当時)の稲盛和夫に説き、1984年に稲盛の指導を得て第二電電株式会社(DDI、現在のKDDI)を創業し専務に就任した[2]。DDIでは通信自由化により専用線事業、市外電話事業を興し、続いて携帯電話事業(DDIセルラー、現在のau)、イー・アクセスへの吸収を経てワイモバイルへ。現在はソフトバンクに吸収)を立ち上げ軌道に乗せ、1994年にDDI副社長 兼 DDI東京ポケット電話社長に就任。 シリコンバレーのエクセレントカンパニーの取締役や世界的通信社のロイター発起人会社 取締役を務めたほか、1996年に慶應義塾大学教授に就任[2]。1997年にスタンフォード大学客員フェロー、2001年にカリフォルニア大学バークレー校客員教授、カーネギーメロン大学客員教授、2006年にカンタベリー大学招聘教授を歴任[3]。 1990年代後半にインターネット急速に普及し始めたことからADSLの回線卸を業とするイー・アクセスを創業(1999年)[4]。2004年には当時の最速記録となる創業5年での東証1部上場を達成[5]。2005年には、新規参入の携帯電話会社イー・モバイルを創業(2011年には親会社のイー・アクセスに吸収)、データ通信を中心とした契約プランで契約数を伸ばした。 2012年10月、株式交換によりイー・アクセスはソフトバンクと合併を発表[6]。日本経済新聞のインタビューの中で、KDDIからも同様の提案があったことを明らかにした上で、孫正義のiPhoneに懸ける情熱に圧倒され、従業員や株主へのフォローが約束されたことから、交渉開始から約10日でソフトバンクへの売却を決断した、と述べた[7]。 2014年3月にイー・アクセス株式会社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任[8]。 2017年9月に公益財団法人千本財団を設立、代表理事に就任。財団内容はアジア太平洋各国において、経済的に困窮する優秀な若者に対し、日本国内の大学における勉学・研究のための財政的援助を行い、将来各国のリーダーとなる人材の養成をすると共に、日本とアジア太平洋各国の相互理解の深化に貢献[9]。 2022年、東京ニュービジネス(NBC)協議会主催『第4回経営者大賞』に選出[10]。
経歴
人物
こだわりは「忍耐強くきちんとやり、途中でやめないこと」[11]
趣味は読書、書道[11]
座右の銘は「周到に準備をして果敢にリスクを取れ!」[11]
尊敬する人は稲盛和夫と松下幸之助と小倉昌男[11]
仕事の魅力について取材で聞かれ、「新しいことへの挑戦には必ずリスクや困難が伴う。リスクや困難に正面から立ち向かい乗り越え、目的を成し遂げたときの喜びと充足感が魅力であり、次の挑戦への勇気とバネを与えてくれる」と答えている[11]
略歴
奈良県立奈良高等学校卒業
京都大学工学部電子工学科卒業[2]
フロリダ大学修士課程・博士課程修了、工学博士(電子工学)[2]
1966年 - 日本電信電話公社(現在のNTT)入社[12]
1984年 - 第二電電株式会社(現在のKDDI)を稲盛和夫らと共同創業、専務取締役[12]
1990年 - 社内ベンチャーとして携帯電話会社(DDIセルラー、現在のau)を立ち上げ[2]
1993年 - イー・アクセスへの吸収を経てワイモバイル、現:ソフトバンク)を立ち上げ[2]
1994年 - 第二電電株式会社取締役副社長[12]
1995年 - 第二電電株式会社退社[12]
1996年 - 慶應義塾大学教授(ビジネススクール)就任[12]
1997年 - 風力発電事業会社 エコ・パワー株式会社会長に就任