千日デパート火災
火災焼失後の千日デパートビル(1975年3月4日撮影)
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最高裁判所判例
事件名業務上過失致死傷被告事件[15]
事件番号昭和62(あ)1480[15]
1990年(平成2年)11月29日[15]
判例集最高裁判所刑事判例集・第44巻8号871頁から879頁[16]
裁判要旨
デパート閉店後に電気工事が行われていたデパートビルの3階から出火し、それによる大量の煙が7階で営業中のキャバレー(アルバイトサロン[注釈 8])の店内に流入したことにより、多数の死傷者が生じた火災において、デパートの管理課長には防火管理者として、3階の防火区画シャッター等を可能な範囲で閉鎖し、保安係員等を工事に立ちあわせ、火災が発生した際には、すぐさまキャバレー側に通報する体制を採るべき注意義務を怠った過失がある[9]。
キャバレーの支配人には、防火管理者として階下において火災が発生した際に適切に客等を避難誘導できるように普段から避難誘導訓練を実施しておくべき注意義務を怠った過失がある[9]。
キャバレーを経営する会社の取締役業務部長には、管理権原者として、防火管理者が防火管理業務を適切に実施しているかどうかを具体的に監督すべき注意義務を怠った過失がある[17]。
以上により、それぞれの被告人に業務上過失致死傷罪が成立する[18][19]。
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最高裁判所第一小法廷[20]
裁判長大堀誠一[21]
陪席裁判官角田禮次郎[21]、大内恒夫[21]、四ッ谷巌[21]、橋元四郎平[21]
意見
多数意見全員一致[21]
意見なし[21]
反対意見なし[21]
参照法条
刑法211条[15]
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千日デパート火災(せんにちデパートかさい)は、1972年(昭和47年)5月13日深夜[3]に大阪府大阪市南区難波新地(現・中央区千日前二丁目)[22]で起きたビル火災である[23]。
同地の千日デパート(日本ドリーム観光経営、鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3,770.21平方メートル、延床面積2万7,514.64平方メートル、地上7階建、地下1階、塔屋3階建[22][24])3階から出火し、2階から4階までの8,763平方メートルの範囲に延焼、出火から約9時間後に鎮火した。死者118人・負傷者81人にのぼる人的被害を出し、戦後日本のビル火災として最大の惨事となった[注釈 9][注釈 10][注釈 11][9][10][11][26][27]。