千坂 恭二
ちさか きょうじ生誕 (1950-03-18) 1950年3月18日(74歳)
日本・大阪府大阪市阿倍野区
出身校立命館大学(学士)
学派無政府主義
研究分野革命、政治哲学、日本思想、天皇、日本史、ドイツ思想、ドイツ神秘主義、アナーキズム、ファシズム、保守革命、映画評論、日本浪曼派、反動主義、芸術、国家社会主義
影響を受けた人物
エルンスト・ユンガー、ミハイル・バクーニン、リヒャルト・ワーグナー、ジョゼフ・ド・メーストル、コンスタンティン・レオンチェフ、廣松渉、松田政男、蓮田善明、北一輝など多数
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千坂 恭二(ちさか きょうじ、1950年3月18日 - )は、日本の思想家、評論家。本名は平野和男(ひらの かずお)。千坂は母方の曾祖母の生家の苗字。 大阪市に、祖父の代までは地元の庄屋で富裕郷士だった没落旧家の一族の子として生まれる。母方も新潟出自の東京系の旧家で、祖父の代は遠縁に華族(都筑男爵家)がいた士族[1]。 1968年頃にバクーニンの総破壊の思想と精神の影響を受けた超過激派のバクーニン主義者として、上宮高校在学の頃からアナキズム運動に参加し、高校生から浪人生の頃は、黒色高校生連盟
来歴
1969年10月1日、アナキスト革命連合(ARF)の一員として大阪芸大占拠封鎖の夜襲闘争に突入部隊として参加。大阪府警と奈良県警の河内飛鳥一帯にかけての深夜の広範囲な包囲網と大規模な山狩りによって逮捕される[3]。
1970年に反安保闘争で上京し、闘争後そのまま東京で新左翼としての思想活動を始める。21歳になった1971年に「独学・独断・独行」の「戦後最年少のイデオローグ」(『週刊読書人』)[4]として松田政男編集の『映画批評
』に映画評論を連載し[5]、『情況』『現代の眼』『構造』『現代思想』などでアナキズム論やバクーニン論などの政治思想から文学、芸術について思想を展開。マルクス主義については批判の論陣を展開したが、廣松渉の物象化論には深い関心を持った[6]。1980年前後の頃から、エルンスト・ユンガーと、蓮田善明(三島由紀夫の感情教育の師とされた国文学者)や日本浪曼派について取り組んだ。文学、歴史や芸術にも関心が強く、イスカリオテのユダ、ワーグナーやシェーンベルクその他について執筆し、また20代の時からジョゼフ・ド・メーストルやコンスタンチン・レオンチェフなどの反動主義思想にも親しんでいる[7]。
1987年に大阪に戻る。
1990年代に右翼の青年民族派の牛嶋徳太朗による、戦前の中野正剛の東方会機関誌『東大陸』の正式な再刊に参加、協力した。
1995年に45歳で立命館大学文学部哲学科に社会人学生として入学し、1999年に卒業(この時まで最終学歴は「高卒」だった)。 1980年代半ば以降、本格的な隠遁の結果から商業メディアに文章を公表しなかった。その後長い隠遁と沈黙、絶筆の期間が過ぎ、2008年以降『歴史読本』(新人物往来社)での戦後アナキスト像[8]、『情況』(情況出版)での連合赤軍論[9]、『悍
隠遁と復活