千円紙幣
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千円紙幣(せんえんしへい)は、日本銀行券(日本銀行兌換券を含む)の1つ。千円券(せんえんけん)、千円札(せんえんさつ)とも呼ばれる額面1,000紙幣1994年平成6年)4月以降、発行されている日本銀行券の中で最小額面である。

発行中の千円紙幣は、2004年平成16年)から発行されている野口英世肖像E号券である。

この他にかつて発行された甲号券、B号券、C号券、D号券があり、これまでに発行された千円紙幣は全5種類存在する。このうち甲号券以外の4種類は現在法律上有効である[1]
甲号券表面裏面裏面(中央部に台湾銀行券として加刷あり)

1942年(昭和17年)4月16日の大蔵省告示第178号「兌換銀行券千圓券發行」[2]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[3]

日本銀行兌換券

額面 千圓(1,000円)

表面 日本武尊建部神社本殿、兌換文言

裏面 彩紋、断切文字

印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長

銘板 内閣印刷局製造

記番号仕様

記番号色 黒色

記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁


寸法 縦100mm、横172mm[2]

製造実績

印刷局から日本銀行への納入期間 1941年昭和16年)12月26日 - 1943年(昭和18年)9月28日[3]

記号(組番号)範囲 1 - 9(1記号当たり900,000枚製造)[3]

製造枚数 8,100,000枚[4]


発行開始日 1945年(昭和20年)8月17日[5](告示上:1942年(昭和17年)4月20日[注釈 1]

通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[6](証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日[7]

失効券

第二次世界大戦後のインフレーション抑制を目的とした金融緊急措置令などに基づく新円切替が行われる以前(旧円)の最高額紙幣である。

戦時インフレ発生の懸念から更なる高額券の準備が必要となったため1941年(昭和16年)に製造を開始した[8]1942年(昭和17年)の大蔵省告示で様式と発行開始日が公示されたが、これは1942年(昭和17年)2月の日本銀行法施行に伴い、1942年(昭和17年)5月1日以降はそれ以前から発行されている券種を除き「兌換銀行券」の名称を用いた新たな銀行券を発行できなくなるため、既に製造されていた甲千圓券が発行できない状況に陥らないようにすることを目的とした形式的なものである[8]。そのような事情で発行されたため、発行後数年間は日本銀行に死蔵されることになる[8]

そして終戦直後の1945年昭和20年)8月17日に他の新紙幣の発行とともに流通が開始されたが[8]、新円切替に伴い発行から1年も経たず、1946年(昭和21年)3月2日限りで失効した[6]。製造数は8,100,000枚(うち発行数は不明)[4]。失効後も証紙を貼り付けて臨時に新様式券(新円)の代わりとする「証紙貼付銀行券」が発行され流通・通用したが[9]、この「証紙貼付銀行券」も新円の流通拡大に伴い1946年(昭和21年)10月末に失効した[7]

表面右側には福井県吉田郡永平寺町にある二本松山古墳から出土した古墳時代の「金銅製」および「短甲」を身に着けた日本武尊の肖像が描かれている[8]。なお日本武尊の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ帝室博物館学芸員関保之助の考証を基に、高松宮宣仁親王をモデルとしてデザインしたものとされる[8]。表面左側には滋賀県大津市にある建部神社(現・建部大社)の本殿[注釈 2]が描かれている[8]。輪郭には唐草模様の他に、勾玉、宝相華、桐紋が散りばめられており、地模様として八稜鏡型の輪郭と、その外側に瑞雲、宝相華、菊花があしらわれている[8]。「日本銀行兌換券」と表記されているものの、実質的な発行開始時点で既に1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行により金本位制が廃止されていたため、実質的にも法的にも不換紙幣として扱われており金貨との兌換は行われていなかった[10]

裏面には彩紋と共に、宝相華、唐草模様などが印刷されている[8]。裏面右端には「日本銀行」の断切文字(割印のように券面内外に跨るように印字された文字)が配置されている[8]

透かしは「1000」の文字と鳳凰の図柄である[8]。透かし模様が確認しやすいよう、透かしの入った中央部分は文字と淡い印刷色の地模様のみの印刷となっている[11]

使用色数は、表面7色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様4色、印章1色、記番号1色)、裏面4色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様2色、印章・断切文字1色)となっている[12][3]

なお額面金額1000円のA号券(A千円券)は検討が行われ、後述の通り2種類の図案が考案されたものの結局発行されなかった[13]

このように甲千圓券は短命な超高額券であった。発行枚数が少なく、かつ高額券ゆえほとんど回収されたため、現存数は多くない。2014年(平成26年)現在の価格に換算すると約180万円ほどの額に相当する。またこの紙幣の現代の古銭的価値も数万円以上の値がつくことがある。

製造された甲千圓券の一部は台湾銀行に引き渡され、裏面に銀行名や印章の加刷を行ったうえで1945年(昭和20年)8月の終戦直後に台湾でも発行された[8]。このほか朝鮮銀行に対しても同様に終戦直後に甲千圓券の一部が引き渡され、台湾同様に現地で発行するため表面に題号の加刷が行われたものの、こちらは発行準備のみで実際の発行には至らなかった[14]
B号券表面裏面

1949年(昭和24年)12月28日の大蔵省告示第1048号「昭和二十五年一月七日から発行する日本銀行券千円の様式を定める件」[15]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[3]

日本銀行券

額面 千円(1,000円)

表面 聖徳太子


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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