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千住(せんじゅ)は、東京都足立区の町名。現行行政地名は千住一丁目から五丁目。また、広義には旧千住町一帯を指す。 東京都足立区南部に位置する。北境を荒川が流れる。足立区は河川が運んできた土砂の堆積により形成された沖積低地であり、かつては湿地帯であった。北千住駅東側には海抜ゼロメートル以下の地域がある。1930年(昭和5年)に完成した荒川(放水路)が区内を北西から南東に流れ、足立区を二分し千住地区は南部に相当する[5]。 地域内にはJR常磐線や東京メトロ千代田線、東京メトロ日比谷線、東武伊勢崎線、京成本線、つくばエクスプレスが通り、それらが交差する北千住駅がある。西側の境界を日光街道が通る。駅周辺には、本町商店街やサンロード商店街、ミリオン通り商店街など10あまりの商店街がある。また、大手スーパーイトーヨーカドーの事実上の1号店は千住店であり、大手釣り具店の上州屋本店もこの千住にあった。千住は銭湯が多いことでも知られ、夕方には煙突から煙が出て独特なにおいが辺りに漂う。近年、東京電機大学が神田から北千住に移転してきたことで若者が増え活気が出てきた。この他、東京藝術大学や帝京科学大学、東京未来大学などのキャンパスもある。 山田宗樹の小説「嫌われ松子の一生」の舞台にもなり、中島哲也監督・中谷美紀主演の映画と内山理名主演のテレビドラマや、柳井満プロデューサーのテレビドラマ「3年B組金八先生」や「親子ゲーム」などのロケ現場にもなっている。なお、柳井満ドラマの舞台・ロケ地は、住所では千住と表記されているが、最寄り駅は東武伊勢崎線堀切駅である。 足立区出身のビートたけしのギャグトークや著書にも時々登場する。ちなみに北千住はその形状から下町のマンハッタンと一部で呼ばれ親しまれている。 勝専寺の寺伝によれば、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するという。この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとしている。 他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られている。 1594年、徳川家康が墨田川に架けた最初の橋が千住大橋であった。このことからも千住が江戸の北の入り口として重要視されていたことが分かる。千住は日光街道・奥州街道の宿場として発展した。江戸から一つ目の宿場であり、江戸四宿の一つであった。元の千住宿は1-5丁目に分けられて本宿、最初に追加された3町は新宿、対岸の2町は南宿(下宿)と呼ばれていた(→千住宿)。 いわゆる「岡場所」の一つであり、当時の船頭たちが歌った「千住節」の一節「千住女郎衆はいかりか綱か 上り下りの舟とめる」というのはこれを指している。また江戸市街の喉もとで奥州街道、水戸街道の始点として、日光・東北方面への旅人で賑わったといわれている。 松尾芭蕉の奥の細道は、元祿2年(1689年)深川の芭蕉庵を出発し、「門人に見送られ、彼等と千住で別れる時に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠み、それを「矢立てのはじめ」として、そこから旅が始まる」という[6][7]。 また、練馬のダイコン、目黒のタケノコ、尾久のゴボウなどと並んでネギの名産地として有名であった。 明治以降郡区町村編制法の施行を経て、南組を東京府北豊島郡南千住町、北組、中組は併合して同府南足立郡千住町とし郡役所を同町に置いた。 1871年(明治4年)7月17日、千住黴毒院(ばいどくいん)が開設され、宿娼妓に梅毒検査が行われている。『経済及統計』(内務省・明治23年2月)によれば、1883年(明治16年)の千住宿の売娼妓数374、買客数43,000、1888年(明治21年)にはそれぞれ466、65,000との記録がある。いずれも二廓四宿においては内藤新宿、板橋宿を上回っていた。1881年(明治14年)10月11日、三条太政大臣、岩倉右大臣が当宿に東北巡幸帰還中の明治天皇を迎え、大隈重信の免職と国会開設の命令を受けている(明治十四年の政変)。 また水利の好条件を生かし、官営千住製絨所・隅田川駅(貨物駅)・千住火力発電所などが置かれ、もって舟便のよいことが近在農村に広く知られるようになり、昭和20年代まで青物、川魚の朝市が毎朝のように開かれた。
概要
歴史千住花街と大名行列 北斎