千代田区立番町小学校
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千代田区立番町小学校

正門
(2018年6月26日撮影)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分17.2秒 東経139度44分02.7秒 / 北緯35.688111度 東経139.734083度 / 35.688111; 139.734083座標: 北緯35度41分17.2秒 東経139度44分02.7秒 / 北緯35.688111度 東経139.734083度 / 35.688111; 139.734083
過去の名称東京府小学第二校
文部省小学第二校
第一大学区第三中学区第一番小学 番町学校
番町学校
番町尋常高等小学校
東京市番町尋常小学校
東京市立番町国民学校
東京都立番町国民学校
東京都千代田区立番町小学校
千代田区立千代田番町小学校
国公私立の別公立学校(区立)
設置者 千代田区
設立年月日【現・番町小学校】
1993年平成5年)4月1日[1]
【旧・番町小学校】
1871年明治4年)12月4日
開校記念日12月4日
共学・別学男女共学
学校コードB113210100031
小学校コード201150[2]
所在地102-0085
東京都千代田区六番町8番地
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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千代田区立番町小学校(ちよだくりつ ばんちょうしょうがっこう)は、東京都千代田区六番町にある公立小学校

開校150年を超える、東京都で最も長い歴史と伝統を持った小学校の1つである。後述の理由からも、日本を代表する名門公立小学校とされてきた。
概要
明治時代

1871年明治4年)創立。学制発布以前に設立された伝統校、東京府小学六校(いわゆる官立六校)のうち、1870年(明治3年)6月13日に、市谷八幡町(現新宿区)の洞雲寺境内に設けられた小学第二校が番町小学校の前身にあたる。翌1871年12月4日、文部省直轄の小学第二校[3] と改称されたときが創立記念日になっている。ちなみに、現在の校舎が建つ場所には、かつて江戸市全域の消防や警備にあたる定火消(単に火消ともいう)の屋敷があり、その後は上野小幡藩上屋敷となった経緯がある。

1873年(明治6年)5月3日施行の新学制により、官立学校として「第一番小学・番町学校」と改称された。

1878年(明治11年)には新たな歩みの始まりとして本格的な校舎の建築が施工された。その新校舎は全体がH型をした木造校舎であり、唐破風造玄関を有するなど当時の学校建築としては最先端であった。翌1879年(明治12年)に学区番号の廃止に伴って「番町学校」となった。校地を1522坪まで拡大し、当時の学校としては立派な建物であった。

1886年(明治19年)、法令の変更により「番町尋常高等小学校」と改称され、同年10月、当時の皇太子(のちの大正天皇)が授業を観覧した。
大正時代

1920年大正9年)に創立50年を迎えた。番町の卒業生である芳賀矢一国文学者文部省唱歌鎌倉」の作詞者)作詞、宮内省(現宮内庁式部職楽部多忠亮作曲のもと「創立記念日の歌」が作られた。

1922年(大正11年)には漏電によって校舎や資料の大部分が焼失する火災事故が起きた。校舎の再建までの間、児童らは永田町麹町九段の各小学校や上智大学等に分散して授業を受けていた。しかし翌1923年(大正12年)9月1日午前11時58分発生の関東大震災により再び甚大な被害を受けることになった。1924年(大正13年)には、官庁建築に尽力した建築家中村與資平による設計の下、鉄筋コンクリート3階建の新校舎が完成した。同年5月28日、東伏見宮依仁親王妃周子が学校を視察した。
昭和時代

1947年昭和22年)に「東京都千代田区立番町小学校」に改称され、4年後に創立80周年を迎えた。式典には昭和天皇が招かれた。1961年(昭和36年)の創立90周年には、現在の上皇上皇后(当時は皇太子・同妃であった)が出席し式典が行われた。この頃は児童数1800人を超えるマンモス校となっていた。

1971年(昭和46年)に創立100周年を迎えたが、新校舎建設中のため翌年1972年(昭和47年)に、昭和天皇香淳皇后を招き記念式典が行われた[4]。特にこの日は、番町小学校創立100周年というだけでなく日本の小学校史100年という記念日でもあり、式典の様子がメディアを通じて全国に報道された。正門右脇には 「創立百周年記念天皇皇后両陛下御行幸啓」の石碑が存在する。

1970年10月3日起工、1972年3月2日竣工で新校舎(鉄筋コンクリート構造地上4階、地下1階)が落成。総費用は約4億3000万円、敷地面積7005.86平方メートル、延床面積5912平方メートルである。

1981年(昭和56年)には、創立110周年記念式典が上皇上皇后(当時は皇太子・同妃)を招いて行われた。120周年式典では今上天皇(当時は皇太子)を招き、その他に木村茂(千代田区長)や鳩山邦夫(文部大臣)、鈴木俊一(東京都知事)、内田茂(東京都議会議長)等が出席した[5]
平成時代

1991年平成2年)12月20日に公表された千代田区公共施設適正配置構想(いわゆる公適配)の実施にともない、1993年(平成5年)4月1日、番町小学校を含む全8校の千代田区立小学校が、千代田区の学校設置条例に基づき新設の扱いとされ、1年たらずの間ではあったが、旧麹町区域の小学校には旧来の校名の前に「千代田」の冠称が付けられた[6]。本校も旧永田町小学校の一部と統合されて「千代田番町小学校」となった。

しかし区民・保護者・同窓生の強い要望を汲み、1994年(平成6年)1月1日に学校設置条例が改正され、「東京都千代田区立番町小学校」の旧称に復した。校歌は、旧来の曲「われらがかざせる」(作詞は中村秋香成蹊学園創設者中村春二の父。作曲は旧制東京音楽学校教授小山作之助)と、平成新作「輝いて今日を」(卒業生の中田喜直作曲、「めだかの学校」の作者)の2曲が両方使われている[7]。後者は作曲者中田喜直の遺作となった。校章は具象的な横向きの梅花から、デザイン化された梅花に更新された。[要出典]

2001年(平成13年)に創立130周年を迎えたが、千代田区全体の公立小学校統廃合が実施されて間もなくだったため、統廃合の対象となった旧永田町小学校関係者に配慮して式典を見送った[8][9]
創立140周年記念式典

2011年(平成23年)12月4日に創立140周年を迎えた[10]。9時50分に皇太子(現在の今上天皇)が番町小学校に到着し、午前10時から記念式典が執り行われた。国歌斉唱、千代田区歌斉唱、第25代校長有馬守一による校長式辞、石川雅己千代田区長(第8代)挨拶に続いて皇太子が以下のように「お言葉」を贈った[11]


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