十輪寺
所在地兵庫県高砂市高砂町横町1074
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度44分50.3秒 東経134度47分59.0秒 / 北緯34.747306度 東経134.799722度 / 34.747306; 134.799722
十輪寺(じゅうりんじ)は、兵庫県高砂市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は宝瓶山。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊跡第三番。御詠歌 生れてはまづ思い出ん故郷に ちぎりし友の深きまことを。 伝承によれば、815年(弘仁6年)空海が唐から帰国した後に、「地蔵十輪経」に基づき、勅を奉じて、鎮護国家の祈祷書として、地蔵山十輪寺と号して作られた真言宗の寺院であった。しかし1207年(建永2年)法然が地元の民に教えを広めたことから、法然の弟子の信寂房が、法然を再興の祖として浄土宗の寺院になった。その後、法然が自賛した掛け軸「宝瓶の御影」が寄贈され以来、宝瓶山と山号を改めたが、正確な時点については諸説ある。応仁の乱から戦国時代にかけては、十輪寺も大きな被害を受けたと考えられる。江戸時代初期には京都所司代を務めた板倉勝重の帰依を得、寺領を寄進されている。17世紀後半には宗派間の争いなどがあり再び荒廃したが、その後、第24世律空悦道により整備が行われたと伝えられている[1][2]。墓地には漁師の八田治部太夫夫婦の墓石が残る。 十輪寺の伽藍は、兵庫県指定文化財である本堂を中心に御影堂、大方丈、庫裏から構成される[3]。 絹本著色五仏尊像 - 朝鮮時代(16世紀)[6][7] 上記に加え、毎月第1土曜日に「十輪寺の集い」がある[13]。 本堂
歴史
境内
本堂 - 兵庫県指定文化財である本堂は、桁行24.9m、梁間19.2mの大規模な浄土宗本堂形式である。屋根は本瓦葺、二重棟寄棟造。
御影堂 - 法然上人の御影が祀られる。
大方丈 - 桁行13.9m、梁間13.8mの書院造で作られる。屋根は本瓦葺、入母屋造。
庫裏 - 桁行22.7m、梁間15.5mを持つ。屋根は本瓦葺、正面は切妻造、背面は入母屋造。
大玄関・小玄関
鎮守杜鞘堂
山門
小門
水屋
井戸屋形
鐘楼
墓地 - 高砂出身である江戸時代の実業家工楽松右衛門の墓があり、高砂産の竜山石をもちいて、松右衛門が考案した幅広の帆布を模している[4][5]。
文化財
重要文化財(国指定)
兵庫県指定重要文化財
絹本著色阿弥陀四尊来迎図 - 室町時代(15世紀)[8]
本堂 - 元禄10年(1697年)[9]
高砂市指定文化財
絹本著色不動明王二童子像 - 鎌倉時代(14世紀)[10]
山門 - 享保15年(1730年)建立[11]
庫裏 - 元禄10年(1697年)前後の頃
大玄関 - 正徳2年(1712年)~ 享保4年(1719年)[12]
小玄関 - 宝暦2年(1752年)~ 宝暦13年(1763年)[12]
法然上人像(宝瓶の御影) 附 法然上人像(宝瓶の御影)
行事
2月15日: 涅槃会
3月23日: 春彼岸会
8月15日: 盆施餓鬼会
9月23日: 秋彼岸会
12月31日: 除夜の鐘
交通
山陽電鉄高砂駅より
南へ徒歩6分[13]
じょうとんバス 13系統「南本町」バス停下車後西へ徒歩すぐ
ギャラリー
脚注^ 財団法人文化財建造物保存技術協会 『十輪寺本堂保存工事報告書』宗教法人十輪寺、1994、1-2頁。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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