十段_(囲碁)
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十段戦
公式戦(七大タイトル)
正式名称大和ハウス杯 十段戦
前身
早碁名人戦
概要
主催産経新聞社日本棋院関西棋院
特別協賛大和ハウス工業株式会社
優勝賞金700万円
挑戦手合五番勝負
棋戦形式20名による本戦トーナメントで挑戦者決定
持ち時間3時間
秒読み5分前より
創設年1961年
開催時期挑戦手合: 3-4月
本戦: 前年10月-1月
公式サイト日本棋院 十段戦
記録
現十段井山裕太(第62期)
名誉称号不在
最多優勝加藤正夫(7期)
最長連覇加藤正夫、王立誠(4連覇)
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十段(じゅうだん)は、囲碁棋戦の一つである十段戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。日本棋院および関西棋院の昇段制度(初段?九段)とは別個に運営される、独立した称号である。棋戦としての正式名称は、大和ハウス杯十段戦。
十段戦

1961年創設。前身は早碁名人戦産業経済新聞社及び日本棋院関西棋院主催。優勝賞金は1500万円であったが、2011年より1200万円に改められ、それに伴いタイトルとしての序列は4位から6位に下がった。更に50期からは750万円に改められ、序列も7位に後退した。翌51期には700万となっている。挑戦手合であり、持ち時間は2002年まで5時間、2010年まで4時間、2011年より3時間。

第49期まで七大タイトル戦では唯一、敗者復活戦方式がとられた。16名からなるトーナメント戦で、一度敗退した者は敗者組トーナメントに回り、その優勝者と本戦トーナメント優勝者とで挑戦者決定戦をおこなった。挑戦者はタイトル保持者と五番勝負をおこない、優勝者を決めた。本戦トーナメントで2勝以上した8名は次期にシードされ、予選勝ち抜きの8名とともに挑戦者決定トーナメントを戦った。

第50期からは20人による単純トーナメント方式で、挑戦者を決定している。

2011年より森ビルが協賛し、森ビル杯十段戦という正式名称になった。また2021年からは大和ハウス工業が協賛企業となり、大和ハウス杯十段戦に変更された[1]



しくみ(第49期まで) 
予選A

東京予選

予選B・C勝ち上がり26名、シード棋士によるトーナメント。


関西・中部予選

予選B・C勝ち上がり10名、シード棋士によるトーナメント。


最終予選

東京と中部・関西の予選Aの勝ち上がり18名(東京13名、関西・中部5名)、シード棋士14名によるトーナメントによって本選出場者8名を決める。

本選トーナメント

最終予選勝ちあがり8名、前期ベスト4、敗者復活2回戦勝者4名の計16名による2敗失格制トーナメント。優勝者が十段位との5番勝負を行う。

昇段規定「囲碁の段級位制#プロ」も参照

六段以下の棋士が、十段挑戦権を獲得した場合、七段に昇段する。

七段の棋士が十段位を獲得した場合、八段に昇段する。

八段で、他のタイトルを1期獲得している棋士が十段を獲得した場合、九段に昇段する。

歴代十段位

棋士生年初奪年通算
1
橋本宇太郎 (1907-02-27) 1907年2月27日19622期
2半田道玄 (1915-10-25) 1915年10月25日19631期
3藤沢朋斎 (1919-03-09) 1919年3月9日19641期
4高川格 (1915-09-21) 1915年9月21日19651期
5坂田栄男 (1920-02-15) 1920年2月15日19665期
6大竹英雄 (1942-05-12) 1942年5月12日(82歳)19695期
7橋本昌二 (1935-04-18) 1935年4月18日19741期
8林海峰 (1942-05-06) 1942年5月6日(82歳)19751期
9加藤正夫 (1947-03-15) 1947年3月15日19767期
10趙治勲 (1956-06-20) 1956年6月20日(67歳)19826期
11小林光一 (1952-09-10) 1952年9月10日(71歳)19845期
12武宮正樹 (1951-01-01) 1951年1月1日(73歳)19903期
13依田紀基 (1966-02-11) 1966年2月11日(58歳)19952期


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