十段戦_(将棋)
[Wikipedia|▼Menu]

十段戦
棋戦の分類タイトル戦
開催概要
初回開催1962
最終開催1987
持ち時間挑戦者決定リーグ:6時間
タイトル戦:9時間(2日制)
番勝負七番勝負
主催
読売新聞社日本将棋連盟
公式サイト十段:日本将棋連盟
記録
永世資格者大山康晴(永世十段)
中原誠(永世十段)
最多優勝中原誠(11期)
最長連覇大山・中原(6連覇)
テンプレートを表示

十段戦(じゅうだんせん)は、読売新聞社が主催していた将棋棋戦である。のちに発展的解消して竜王戦となる。

前身である全日本選手権戦、九段戦、名人九段戦(名人九段五番勝負)についてもこの項目で記述する。
概要

1948年に創設された一般棋戦「全日本選手権戦」が起源。1950年からは、新たに九段のタイトルが制定され、全日本選手権戦は「九段戦」と「名人九段戦(名人九段五番勝負)」という2つの棋戦を内包する特殊な開催方式に変更された。すなわち、まず名人以外の棋士によって九段戦を行って九段のタイトル獲得者を決め、次にその九段のタイトル獲得者と名人との間で名人九段戦を行って全日本選手権者を決めるというものである。1956年に全日本選手権戦の2つの棋戦は統合され、名人も参加する単一のタイトル戦として新たな「九段戦」になった(同時に別途読売新聞社が主催していた全八段戦も統合された)。1962年からは「十段戦」へと移行。1988年からは「竜王戦」へと発展した[1]

九段戦七番勝負(1955年までは五番勝負)の勝者は九段、十段戦七番勝負の勝者は十段と呼ばれ、タイトル保持者となる(なお、上述した通り、1955年までの九段戦は、1956年以降の九段戦とは異なり、名人九段戦の下位棋戦という位置付けであるが、日本将棋連盟の公式記録ではこれらもタイトル獲得期数にカウントしている)。なお、九段・十段はタイトル名であり、段位ではない。しかしながら、公式にもタイトルと段位とを混同している例があり、例えばタイトルとしての永世九段は段位としての九段と同様に扱われる(将棋の段級#九段と十段も参照)。
沿革

1943年、
讀賣報知紙上で、全八段・七段が参加する「九段設置戦」が開始[2]。1945年5月に新聞発行不能で休止に[3]。戦後、1945年11月から、讀賣報知紙上で「九段設置戦」が再開[4]


1947年[5]、新棋戦として読売新聞社主催の全日本選手権戦が創設される。第1回全日本選手権戦は名人を含むトップ棋士10名(名人・A級7名・B級選抜2名)によるトーナメントで争われ、1948年に前名人の木村義雄が初代選手権者となった。


1949年、第2回全日本選手権では、出場者12名(名人・A級10名・B級選抜1名)を3つのブロックに振り分け、各ブロックのトーナメントを勝ち上がった3名による決勝リーグを行う方式に変更された。ところが、この年の決勝リーグでは全員が1勝1敗で並んでしまったため[注 1]、決勝リーグが再度行われ、結果、萩原淳が2勝0敗で選手権者となった(前選手権者の木村は1勝1敗の2位)。


1949年[6]、名人戦の盛況を受けて読売新聞社と日本将棋連盟は全日本選手権戦をタイトル戦の九段戦(初年度は決勝三番勝負、翌年以降は九段と挑戦者との五番勝負)と名人九段戦(名人と九段戦勝者との五番勝負)に再編成。当時の最高段位が八段だったことに由来し、名人に次ぐ2つめのタイトルとして九段を制定した。ただし、全棋士参加の最高位棋戦である現在のタイトル戦とは異なり、九段のタイトルは名人以外の者によって争われ、九段のタイトルを獲得した者が名人との間で名人九段戦を行うという、2つの棋戦を合わせた二段階方式で全日本選手権者を決する仕組みであった。なお、九段戦は将棋愛好家であった秩父宮雍仁親王から優勝杯が下賜されることになり、秩父宮杯との別名でも呼ばれた。1950年[7]大山康晴が初代九段となり、名人九段戦でも名人の木村を下して第3回全日本選手権者となった。


1952年、九段のタイトルを保持していた大山が木村から名人のタイトルを奪取。これにより、九段戦に本来は出場しないはずの名人が出場するという珍しい事態となった。九段戦に名人が出場してしまっては、その後に名人九段戦を行う意義が失われてしまうため、特例的な措置として、名人九段戦は新名人の大山ではなく引退した前名人の木村が出場し、第3期九段戦の優勝者の塚田正夫との三番勝負に縮小して開催された。


1954年、引退棋士の金易二郎に名誉九段が与えられる。また、塚田正夫が九段戦3連覇により永世九段の資格を得る。これらはタイトルとしての九段なのか段位としての九段なのかを曖昧にしたままの称号であったが、段位であるとみなされることが多い[注 2]


1956年、全日本選手権が再編され、九段戦と名人九段戦が新たな九段戦に統合(同時に全八段戦も統合された)。第7期九段戦(第9回全日本選手権戦)からは名人も本戦トーナメントに参加することとなり、番勝負は七番勝負に変更された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:48 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef