十字の描き方(じゅうじのかきかた)では、キリスト教の諸教派において行われる、手を使って自分の体前に十字を描く動作とその意義を扱う。「十字を切る(切り方)」とも。描き方には教派によって違いがあるが、イエス・キリストが刑死した十字架を表す信仰表明である点は、教派を越えて共通している[1][2][3]。
十字の描き方については古代にも地域によって様々な形態があったことが判っているが、なぜこのような相違が生じたのかはよく判っておらず、現代では東方教会・西方教会間で十字の描き方が左右逆になっているが、なぜこのように東西教会の間で描き方が左右逆に継承されたのか、その原因も不明である。
正教会・カトリック教会においては十字を描く(切る)ことは欠かせないが[4]、聖公会では「欠かせない」とまでは言われず「十字を切るか切らないかは自由」とされる[3]。またプロテスタント諸派には十字を切る習慣を有さないものも多いが、教会によっては十字を切ることを勧める場合がある(特にルター派では十字を切る傾向が強い)[5]。
正教会正教会での聖体礼儀中の光景。中央の女性が右手を所定の形に整えて額に付け、正教式に十字を画こうとしている。他に十字を画いている瞬間に撮影されたため右腕がブレて写っている信徒もいる。(デュッセルドルフの生神女庇護教会)正教会で十字を画く際の指の形八端十字架。他にギリシャ十字・ラテン十字なども頻繁に正教会で用いられる。
正教会においては、「十字を画く(かく)」「十字を描く」といった表現が用いられ、「十字を切る」という表現は皆無では無いもののあまり用いられない。十字を画くことは信仰を表すため「表信」の一つであり、祈祷の一部、ないし身体によって表現された祈祷であるとされる。
カトリック教会と同様、古代以来十字を画くことは正教会でも行われてきた(東西教会の分裂自体が中世の事)。但し現代正教会世界に見られるような形に統一されたのは中世以降のことである。十字の画き方の統一を嫌って生じた分派には、正教会のロシア古儀式派などがある。 十字を画くにあたっては、指の形が定められている。右手の親指と人差し指と中指の先を合わせ、薬指と小指を曲げる。合わせられた三本の指は至聖三者(三位一体)を表し、曲げられた二本の指はイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)の神性と人性の両性を表す。 このように右手の指の形を整えた上で、額・胸・右肩・左肩の順に指を動かして十字を画く(カトリック教会と左右逆)。この際、脇を出来るだけ締めるようにして画く。多くの場合、画き終えた後にお辞儀をする。 画く時については、私祈祷 聖堂に出入りする際にも十字を画く。また、イコンや不朽体に接吻する際に、接吻前に2回、接吻後に1回、十字を画く。 父と子と聖神(聖霊のこと:日本正教会訳)の、至聖三者を記憶して十字を画くとされる。手を動かしつつ、額で「父と」、腹の上で「子と」、右肩で「聖神」、左肩で「の名による、アミン」と心の中で唱えつつ十字を画く。 そのほか、以下のような説明がなされることもある。 また、十字を描くことはイイスス・ハリストスの十字架の苦難を思い起こし自らの十字架を背負うことを記憶するのみならず、それによって得られる永遠の生命、復活の生命を思い起こすことでもあるとされる。「復活大祭」も参照 司祭が奉神礼において信徒を祝福する際にも十字が画かれる。
十字の画き方
十字を画く時
十字を画く意味
額に指の先があるとき:神の愛の記憶と、全ての考えが愛に向うことへの願い
胸に指の先が動かされるとき:神の愛で心が満たされるようにとの願い
右肩に指の先が動かされるとき:神の愛により、愛の行いが出来るようにとの願い
左肩に指の先が動かされるとき:愛の行いを、周囲の人に広げていけるようにとの願い
祝福時『全能者ハリストス』(12世紀・アギア・ソフィア大聖堂のモザイクイコン)。右手の指の形は主教・司祭が相対する神品・信徒を祝福する時と同様のもの。左手には福音経。