十善戒(じゅうぜんかい 英:ten good precepts)とは、仏教における十悪(十不善業道)を否定形にして、戒としたもの。比丘向けの戒であり[1]、在家者には五戒、八戒が存在する。内容は、三業(身口意)にそれぞれ3-4-3で対応するようになっている。
大ヴァッチャ経において釈迦は、三毒(三不善根)と並べて十不善業道を説いている。
江戸時代後期の徳僧、慈雲尊者によって広く宣揚された。日本では真言宗系で重んじられるが、四国遍路の大衆化により宗派を問わず普及してきている。天台宗系では十重禁戒が重んじられる。
一覧「三業」も参照
『十地経』(『華厳経』十地品)第二「菩薩住離垢地」で勧められる、菩薩としてなすべき十の良いことをすることの戒め。 ヴァッチャよ、殺生は不善である。殺生から離れることは善である。
身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
意業
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに[2]) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解[3]を持たない。
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ヴァッチャよ、偸盗は不善である。偸盗から離れることは善である。
ヴァッチャよ、邪淫は不善である。邪淫から離れることは善である。
ヴァッチャよ、妄語は不善である。妄語から離れることは善である。
ヴァッチャよ、両舌は不善である。両舌から離れることは善である。
ヴァッチャよ、悪口は不善である。悪口から離れることは善である。
ヴァッチャよ、綺語は不善である。綺語から離れることは善である。
ヴァッチャよ、貪欲は不善である。不貪欲は善である。
ヴァッチャよ、瞋恚は不善である。不瞋恚は善である。
ヴァッチャよ、邪見は不善である。正見は善である。
ヴァッチャよ、これら十の不善法、十の善法がある。—パーリ仏典, パーリ仏典中部73 大ヴァッチャ経, Sri Lanka Tripitaka Project
十悪
身業
殺生(巴: p???tip?ta)
不与取(巴: adinn?d?na)
邪淫(巴: k?mesu micch?c?ra)
口業
妄語(巴: mus?v?da)
綺語(巴: samphappal?pa)
粗悪語(巴: pisu??v?c?)
離間語(巴: pharus?v?c?)
意業
貪欲(巴: abhijjh?)
瞋恚(巴: vy?p?da)
邪見(巴: micch?di??hi)
十善業道
身業
殺生から離れること(巴: p???tip?t? verama??, 梵: pr???tip?t?t prativirata?[4])
不与取から離れること(巴: adinn?d?n? verama??, 梵: adatt?d?n?t prativirata?[4])
邪淫から離れること(巴: k?mesu micch?c?r? verama??, 梵: k?mamithy?c?r?t prativirata?[4])
口業
妄語から離れること(巴: mus?v?d? verama??, 梵: m???v?d?t prativirata?[4])
綺語から離れること(巴: samphappal?p? verama??, 梵: sambhinna-pral?p?t prativirata?[5])
粗悪語から離れること(巴: pisu??v?c? verama??, 梵: pi?unavacan?t prativirata?[5])
離間語から離れること(巴: pharus?v?c? verama??, 梵: paru?avacan?t prativirata?[5])
意業
無貪欲(巴: anabhijjh?, 梵: anabhidhy?lu?[5])
無瞋恚(巴: aby?p?da, 梵: avy?pannacitta?[5])
正見(巴: samm?di??hi, 梵: samyagd???i?[5])
脚注^ 雑阿含経