十和田観光電鉄
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十和田観光電鉄株式会社
Towada-Kanko Electric Railway Co.,ltd.

種類株式会社
略称十鉄(とうてつ)
本社所在地 日本
034-0011
青森県十和田市稲生町17-3
(旧 十和田市中央BT 内)
設立2007年(平成19年)12月16日
創業:1914年大正3年)6月26日(旧法人として)[1]
業種陸運業
法人番号3420001012049
事業内容乗合バス事業
貸切バス事業

代表者代表取締役社長 佐藤行洋[2]
資本金9,600万円
売上高21億9,700万円
(2018年3月期)
従業員数238名
(2019年2月現在)
主要株主国際東北(株) 100.00%
(2013年現在)
主要子会社十和田電鉄観光社
外部リンク ⇒toutetsu.co.jp
特記事項:2008年3月1日に現法人は(旧)十和田観光電鉄(現:十和田管理)および(旧)十和田富士屋ホテル(現:みちのく管理)の全事業を継承。現法人の設立時の社名は「とうてつ」。
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十和田観光電鉄株式会社(とわだかんこうでんてつ)は、青森県南東部を中心にバス事業を運営している会社である。

2008年3月1日、経営悪化によりいわゆる新旧分離方式での事業再建を図るため、すべての事業を新会社に譲渡した[1]。新旧2つの会社は、法人としては別の存在であるが、会社名称(商号)や事業としては継承関係にあるため、本記事においては一括して取り扱う。
概要

愛称は十鉄(とうてつ)[3]。バスは十鉄バスと呼ばれることも多いが、会社コマーシャルでは十和田観光バス(とわだかんこうバス)と称している。

1913年8月に遠藤忠次右衛門など9名が軌道特許を取得し、古間木 - 三本木間の鉄道の開設を目的とした十和田軌道(資本金10万円)を翌年6月に設立したのが始まりである[4]1920年10月、十和田鉄道に改称。

1951年6月、鉄道軌間拡張・電化し、同年12月に十和田観光電鉄に社名を改めた。1954年4月、十和田湖畔に位置した旅館太陽を買収。翌年9月、湖上遊覧船の営業を始め、十和田湖を中心とした観光事業に本格的に着手した[5]
国際興業傘下に

1957年4月、古牧温泉「古牧グランドホテル」[注 1]の前身であるホテル祭魚洞や小川原湖民俗博物館(2007年休館後、閉館)等を設立し、観光施設を整備していた十和田開発社長の杉本行雄が、事業拡大の一つとして、十和田観光電鉄の株式を買い増して社長に就任した[7]。しかし、その後のバス事業の経営悪化や同社労働組合私鉄総連への加盟を巡って、約70日間の長期ストライキを打つなどしたため、経営難に陥った。このため、杉本が秋北バス秋田県大館市)の再建で力量を発揮した国際興業に中央の大手資本の力で再建してほしいと要請。その要請を国際興業が快諾し、1969年10月、十和田観光電鉄は国際興業の傘下に入った[8]
新会社への事業譲渡

十和田観光電鉄は電車・バス事業における利用客の減少や近年の燃料費の高騰、さらにはスーパー事業の不振から経営の継続が困難となった。このため、経営を抜本的に立て直すため、親会社であった国際興業が関連会社分も含めて計78億円の債務を引き受け[9]、2007年11月16日に事業譲渡を目的とした新会社「とうてつ」を設立。2008年3月1日付けで、すべての事業を新会社に譲渡した上で「(新)十和田観光電鉄」に商号変更し、新たなスタートを切った[9]。これと同時に、関連会社である十和田富士屋ホテルの事業も新会社へ譲渡した。

譲渡後の「(旧)十和田観光電鉄」は「十和田管理」、「(旧)十和田富士屋ホテル」は「みちのく管理」にそれぞれ社名変更の後、3月19日開催の株主総会で解散を決議、続いて、3月25日に青森地方裁判所から特別清算開始が決定され、清算手続きに入った。
鉄道廃線

鉄道路線十和田観光電鉄線は、1970年度に年間利用者が165万人に達しピークを迎えるが、その後は減少の一途を辿った。2010年12月に東北新幹線が全線開業し、十和田湖観光の表玄関として七戸十和田駅が誕生すると客離れに拍車がかかり[10]、そこに東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。鉄道事業の赤字を補っていたホテルやバス事業も不振となった。

このため、十和田観光電鉄が沿線の3市町に約5億2000万円の財政支援を求めるが、沿線自治体は財政支援の泥沼化を懸念し、支援要請を拒否した[10]。これによって、十和田観光電鉄は鉄道の廃止とバス転換を決定。2012年3月31日で鉄道運行は終了し[1][3]、翌日から路線は鉄道代替バス「十和田三沢線」に置換えられた。
国際東北傘下に

2013年傘下が国際興業グループから、国際東北グループに変更となった[11]
歴史
年表

1913年(大正2年)8月22日 - 古間木 - 三本木間の軌道敷設の特許を取得[1][12]

1914年大正3年)6月26日 - 十和田軌道株式会社として設立[1][13]

1918年(大正7年) - 個人経営の古間木 - 三本木 - 子ノ口間の乗合自動車運行開始(のち世界公園館自動車部)。

1920年(大正9年)

9月27日 - 古間木 - 三本木間の地方鉄道敷設の免許を取得[1][14]

10月30日 - 十和田鉄道株式会社に改称[1]


1922年(大正11年)9月4日 - 軌間762mmの鉄道線として古間木 - 三本木間を開業(営業は翌日から)[1][14]

1926年(大正15年)

5月31日 - 三本木 - 焼山間の地方鉄道免許取得(1930年1月失効)[15]

8月1日 - 古間木駅を約120m移設[1]乗合バス事業開始[1]


1941年昭和16年)9月 - 世界公園館自動車部、安野自動車、小笠原自動車を買収(三本木 - 子ノ口、三本木 - 古間木間の路線を買収)。

1943年(昭和18年)9月 - 陸運統制令により南部乗合自動車(七戸)、南部貸切自動車、木村自動車(百石)を合併(国側は当初、三八上北地方を1社に統合しようと五戸鉄道(現在の南部バス)との統合を促したが両者の反対で、最終的には上北地方のみの自動車事業統合のみとなった)。


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