十六羅漢
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映画については「阿羅漢 (映画)」をご覧ください。

仏教用語
阿羅漢, アラハン
パーリ語arahant
サンスクリット語??????
チベット語dgra bcom pa
ベンガル語?????
ビルマ語??????
(IPA: [j?ha?da])
中国語阿羅漢, 羅漢
(?音: ?luohan, luohan)
日本語阿羅漢, 羅漢
(ローマ字: arakan, rakan)
朝鮮語???, ??
(RR: arahan, nahan)
英語arhat
クメール語??????
(Arahon)
シンハラ語?????, ????
(Arahat, Rahat)
タイ語???????
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ベトナム語a-la-han
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仏教用語の阿羅漢(あらかん)とは、サンスクリット: ?????? , arhat(アルハット)、パーリ語: arahant(アラハント)に由来し、仏教において最高の悟りを得た[1]、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと[2]。この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至ることができるという[3]。略称して羅漢(らかん)ともいう[2]サンスクリット語 arhat の主格 arhan やパーリ語 arahant の音写語[4][2]。漢訳には応供(おうぐ)という意訳もある[2][注釈 1]

: arhatや: arahant, arahantaの漢訳である応供は釈迦牟尼仏の別称である十号の1つでもある[2]。阿羅漢は、もとはの別称であったが、後に仏と区別され、声聞(仏の弟子)を指す言葉となった[2]大乗仏教では声聞を批判的に阿羅漢と呼び、仏と区別した[2]。大乗仏教の漢訳圏では総じて、阿羅漢を声聞(小乗)と同一視し、菩薩や仏と対置して批判的にみる[5][要ページ番号]俗説が通流した。

僧団の規則であるにおいては、阿羅漢でない者が、自分が阿羅漢でないことを知っていながら、故意に阿羅漢を名乗ることを「大妄語」とし、最も重い波羅夷罪を科して僧団追放の対象とした[6]
原語と漢訳

: arhatは、インドの宗教一般において、尊敬されるべき修行者を指した[2]。通俗語源解釈として、煩悩の賊(ari)を殺す(han)から殺賊(せつぞく)と言われたり、涅槃に入って迷いの世界(三界)に生れない(a(不) + ruh(生ずる))から不生(ふしょう)と言われたりする[2]。arhat を語幹に持つ ????????(arhatphala)や ?????????(arhattva)は阿羅漢果と漢訳され[要出典]、英訳では arhatship が当てられている[7]
教義
原始仏教「四向四果」も参照

原始仏教部派仏教において阿羅漢は、修行者の到達し得る最高位である[8][2]煩悩)が尽き滅し終えて解脱した者である[9]。既に不還となって五下分結が絶たれており、さらに五上分結を絶った者である[9]

五下分結三結および、

五上分結
色貪(r?pa-r?ga) - 色界に対する欲望・執着

無色貪(ar?pa-r?ga) - 無色界に対する欲望・執着

(m?na) - 慢心

掉挙(uddhacca) - 心の浮動

無明(avijj?) - 根本の無知

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Katamo ca bhikkhave catuttho sama?o? Idha bhikkhave bhikkhu ?sav?na? khay? an?sava? cetovimutti? pann?vimutti? di??heva dhamme saya? abhinn? sacchikatv? upasampajja viharati. Aya? bhikkhave catuttho sama?o.

比丘たちよ、いかなるものが第四の沙門なのか。
比丘たちよ、ここに比丘がいて、諸漏(?sav?)を滅尽したゆえに、無漏の心解脱解脱を現世において自ら証知し、作証し、具足して住む。
比丘たちよ、これが第四の沙門である。—パーリ仏典, 増支部四集 241,沙門経 Sama?asutta?, Sri Lanka Tripitaka Project [9]

学道を完成してこれ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を無学位(むがくい)という[2]。それ未満の、不還果(ふげんか)・一来果(いちらいか)・預流果(よるか)を「有学位」(うがくい)という[2]。阿羅漢果を経てしまうと、欲界への執着を失うため世間にとどまることができず、出離出家するしかなくなる[9]

上座部仏教の理論によると、釈迦の涅槃後の5000年以内に、四念処の修行によって、真理を悟り、預流果と阿羅漢に至ります。且つ、四念処の修行は悟りになる唯一の方法です。

四向四果
(解脱の10ステップ, パーリ経蔵[10]による)
到達した境地(果位) 解放された 苦が終わるまでの輪廻

預流

1. 有身見 (我が恒久であるという信条)
2. (教えに対しての疑い)
3. 戒禁取(誤った戒律・禁制への執着)

下分結 最大7回、欲界と天界を輪廻する

一来 一度だけ人として輪廻する

不還

4. への執着(欲愛
5. 憤怒瞋恚, パティガ)

欲界及び天界には再び還らない

阿羅漢

6. 色貪
7. 無色貪
8. , うぬぼれ
9. 掉挙
10. 無明

上分結

三界には戻らず輪廻から解放


相応部ジャンブカーダカ相応では、遊行者に「阿羅漢果とはどのようなものか?」と問われたサーリプッタは、三毒の滅尽であると答えている[11]


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