十七人の忍者
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十七人の忍者
監督
長谷川安人
脚本池上金男
出演者里見浩太郎
三島ゆり子
近衛十四郎
東千代之介
大友柳太朗
音楽鏑木創
撮影わし尾元也
編集堀池幸三
製作会社東映京都撮影所
配給東映
公開 1963年7月7日
上映時間99分
製作国 日本
言語日本語
次作十七人の忍者 大血戦
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『十七人の忍者』(じゅうしちにんのにんじゃ)は、1963年公開の日本映画[1]。主演:里見浩太郎(のちの里見浩太朗)。監督:長谷川安人、脚本:池上金男(のちの池宮彰一郎)。製作:東映京都撮影所、配給:東映モノクロ、99分。江戸幕府に対する謀反のたくらみをめぐる、忍者同士の闘いが描かれる時代劇[2][3]

当時の映画界の「忍者ブーム」に乗じて製作され[2]、のちに「東映集団抗争時代劇」のはしりと評された一作[4][5][6][7]

封切り時の同時上映作品は『警視庁物語 十代の足どり』(監督:佐藤肇 出演:神田隆ほか)。

タイトルが共通し、続編として宣伝された『十七人の忍者 大血戦』(1966年、監督:鳥居元宏 主演:松方弘樹)とは、ストーリー上のつながりはない(事情は後述)。
ストーリー

寛永8年12月(1632年1月)。江戸城公儀隠密三之組組頭の伊賀流忍者・甚伍左(じんござ)は、駿河大納言・徳川忠長らによる謀反計画を未然に摘発するため、計画の証拠となる連判状を駿府城から奪取するよう老中阿部豊後守に命じられる。甚伍左以下16名の忍者たちは数班に分かれて駿府を目指し、甚伍左の妹・梢は連絡係として江戸に残った。その後、将軍・徳川秀忠が死去し、解決を急ぐ老中・阿部は待機中の梢に駿府への合流を命じる。

駿府城は先手を打ち、根来衆忍者の才賀の指揮によって警備を厳重に固めており、伊賀者16人のうち8人は次々と捕らわれ、倒される。これ以上の襲撃はないと見た駿府の重臣たちは、帰国が近い忠長の警備に人員を割くため、連判状を本丸からより警備の容易な鬼門櫓に移すことを決める。伊賀の手の内をよく知る才賀はそれを不安視するが、雇われの兵法家である才賀に決定を覆す権限はなく、しぶしぶ方針に従う。やがて才賀は公儀隠密三之組および甚伍左の隠れ家に関する情報を受け取る。その情報には「組は甚伍左ならびに15名」と書かれ、公職についていない梢の存在が考慮されていなかった。才賀らは甚伍左の隠れ家である城下の寺院を急襲。甚伍左は両足を砕かれ、駿府城内の鬼門櫓にある牢に囚われの身となる。

梢を加えた8人の伊賀者たちは、意を決して堀から城内に忍び込むことを決める。伊賀者たちは次々と倒されて半四郎・文蔵・梢だけが生き残り、城内に入りそびれた梢は才賀に捕まる。半四郎と文蔵は塩蔵に潜み、藩士による「隠密はあと1人だ」との叫び声を聞く。才賀らが「忍者は総勢16人で、潜伏者は残り1人」と思い込んでいることをさとった半四郎と文蔵は、彼らの錯誤に乗じて策を練る。文蔵が決死のおとりとなっている隙に、駿府にとって「未知の17人目」となった半四郎は梢を助け出し、ともに才賀を倒す。歩行不能となっていた甚伍左は、ひそかに牢を抜け出して盗み出した連判状を這って2人に託し、才賀にとどめを刺して自身も力尽きる。半四郎と梢は駿府城を脱出し、秀忠死去の報告のため駿府へ向かう途中の阿部に連判状を届け、そのまま江戸に戻らずに伊賀に帰る。
出演者

柘植半四郎(伊賀忍者):
里見浩太郎

梢(伊賀忍者):三島ゆり子

阿部豊後守(老中):薄田研二

成田助八(駿河藩側用人):原田甲子郎

田辺小六(伊賀忍者):品川隆二
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大井市兵衛(駿河藩重臣):阿部九州男

上坂治平衛(伊賀忍者):花沢徳衛

今村図書(駿河藩重臣):堀正夫

福田越後守(駿河藩家老):大邦一公

市木左平次(伊賀忍者):加賀邦男

木賀孫介(伊賀忍者):尾形伸之介

藤伝八(伊賀忍者):和崎俊也

加太源作(伊賀忍者):鈴木金哉

番士:国一太郎、仁礼功太郎

木村大作(駿河藩士):楠本健二

竹山喜左衛門(駿河藩士):中村錦司

番頭:佐藤洋

番士:長田健二

一色弥市(伊賀忍者):名護屋一

御宿源心(伊賀忍者):藤川弘

佐伯主馬(伊賀忍者):戸塚新八

上島多兵衛(伊賀忍者):潮路章

石脇新作(伊賀忍者):五里兵太郎

仁藤源左衛門(駿河藩士):源八郎

滝島一鉄(伊賀忍者):香月涼二

鬼頭右馬之介(伊賀忍者):毛利清二

番士:木島修次郎

使番:唐沢民賢

番士:小山田良樹、川浪公二郎、晴賀俊介、木南兵介、那須伸太朗


才賀孫九郎(根来忍者):近衛十四郎

見沼文蔵(伊賀忍者):東千代之介

伊賀の甚伍左(伊賀忍者):大友柳太朗

スタッフ

監督:
長谷川安人


企画:天尾完次

脚本:池上金男

撮影:わし尾元也

照明:増田悦章

録音:藤本尚武

美術:富田次郎

音楽:鏑木創

編集:堀池幸三

助監督:本田達男

記録:勝原繁子

装置:西川春樹

装飾:中岡清

美粧:林政信

結髪:宮島孝子

衣裳:豊中健

擬斗:谷俊夫

進行主任:田村祐夫

製作
企画まで

本作の「企画」にクレジットされた天尾完次は、本作が本格的なプロデューサーとしてのデビュー作である[8]。実際は、東映京都撮影所企画部次長・渡邊達人[注釈 1]の発案による企画であったと渡邊自身がのちに話している[10][11]。渡邊は「企画者として天尾完次を選んで脚本を渡した」[12]、「天尾に現場指揮を任せて同路線を牽引させた」と述べている[10][11]

渡邊は本作を皮切りとする「集団時代劇」路線(後述)を敷いた人物でもある[10][11](ただし渡邊自身は著書で一度も「集団抗争時代劇」「集団時代劇」という言葉は使わず[13]、のちの「集団抗争時代劇」に相当する路線を「新時代劇路線」の語で説明している[10])。


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