医療崩壊
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中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2013年3月)


正確性に疑問が呈されています。(2013年3月)


医療崩壊(いりょうほうかい)とは、医療安全に対する過度な社会的要求や医療への過度な期待、医療費抑制政策などを背景とした、医師の士気の低下、防衛医療の増加、病院経営の悪化などにより、安定的・継続的な医療提供体制が成り立たなくなる、という論法で展開される俗語である[1][2]

2020年新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大した国々では、医療従事者や医療器具が不足、重症者の治療に手が回らなくなった。「必要とされる医療」が「提供できる医療」を超えてしまうことを医療崩壊と表現するようになった[3][4]。元々OECDのデータでは人口 1,000人当たり病院等の病床数は諸外国に比し日本が最多となっているが、内情は統計に包含される人口 1,000 人当たり精神病床数も突出している特性があり、また日本では高齢化率に比べて介護施設等の病床(定員)が少なく、病院等が介護施設等の役割を担っている実態がある[5][6]
日本における医療崩壊「日本の医療」も参照
背景と概説
医療政策・医療行政上の問題

日本では、1990年代後半から医療政策・医療行政に対する疑念が医療従事者のあいだで生まれ始めた[2]。具体的には、1980年中葉以降の医師数抑制政策、医療費抑制政策により、医師不足に陥った病院勤務医が、医療費抑制政策を背景とした病院経営悪化のために過酷な労働を強いられるようになっていたのだという論調の俗説がある(2006年の時点で全国の7割以上の病院が赤字である)[7]。元財務官僚の村上正泰によれば、「医療崩壊」の最大の原因はこれまでの医療費抑制政策であり、「これまでの医療政策というものは、医療費削減をすべてに優先させてきた悪しき財政再建至上主義の上に成り立ってきた」と指摘している[8]

しかし、上記俗説に反して、公のデータでは、2012年の日本の医療支出はGDPの10.3%を占めており、これはOECD平均の9.3%より1ポイント高い数字である。OECD加盟国のほとんどにおいて、医療財政の大半は公的セクターから支出されているが、2012年、日本の医療支出の82%は公的支出となっており、これはOECD平均の72%よりなお高いものである。したがって、上記の俗説のように医療費抑制政策がなされていたとしても、現実医療費は抑制されておらず、諸外国と比べてGDP比でやや高く支出されており、フランス、ドイツ、スウェーデンとほぼ同等の水準である。人口千人当たりの医師数では、日本は2.4人と対象国35カ国中下から6番目であり、少ない国の部類に属している。看護師数では、日本は11.0人であり、35カ国中12位であり、ほぼ中位のレベルとなっている[9]
医療安全に対する過度の社会的要求

さらに、2002年前後から、医療事故が警察の捜査の対象とされ、善意の看護師や医師が犯罪の被疑者として扱われるケースが多くなり、さらに、マスメディアの報道もあいまって医療不信が増大し、医療安全に対する社会的要求が過度な高まりを見せた。こうした社会的状況のなかで、現場の医師(勤務医)の間で「立ち去り型サボタージュ」と呼ばれる動き(防衛医療)が見られるようになったと小松は述べた[10]

「立ち去り型サボタージュ」なる言葉を生み出したのは、虎ノ門病院泌尿器科部長であった小松秀樹である。小松は、2004年に『慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理』(2004年)を著し、医療の不確実性を等閑視したメディア、警察、検察の一方的な姿勢が、患者と医師の対立を増幅させ、やがては日本の医療を崩壊させることになると小松は述べた。

普通の医師まで警察とマスコミを恐れるようになっている。あいまいな理由により犯罪者にされかねないと思いはじめている。これが医師の診療行動に影を落とし始めている。医師と患者の信頼関係も崩れてきた。医師は危険を伴う治療方法をとりたがらなくなりつつある。このままでは、将来、外科医を志す人材がいなくなる事態も到来しかねない。医療における罪の明確な定義なしに、医師に刑事罰を科すと医療を壊すことになりかねないと小松は述べた。[11]

同書は世間の注目を浴びることはなかったが、「社会の枢要の立場」[12]にある人びとの目にとまり、2005年に最高検察庁で講演することになった。そして、その際に提出した意見書をもとに、小松は『医療崩壊――立ち去り型サボタージュ」とは何か』(2006年)を著し、日本の医療体制が直面する状況、なかんずく刑法にもとづく警察と世論を背景としたマスコミがいかに医師を追い詰めるかに警鐘をならし、同書によって、「医療崩壊」なる語が一時期流行ることになった。

小松は、医師がリスクの大きい病院の勤務医を辞めてより負担の少ない病院へ移ることや開業医になることを「立ち去り型サボタージュ」と呼ぶ。小松が指摘したように、元々医療訴訟率が高くその賠償額も高額であった産婦人科は担当医の減少が著しく、将来の担い手である医学生たちも産科医になることを忌避する者が多く崩壊が進行している状況にある。さらには、小児科内科外科などの高度医療も同様の状況に至っている。

ただし、日本の医療レベルは、世界保健機構(WHO)による各種指数にみられるように、長年、世界一位の座を占めてきた。たとえば、同機関によるWorld Health Report(2000年)では、日本は、健康寿命が第1位、平等性が第3位で「健康達成度」の総合評価は世界一となっている[13]。さらに、2009年のOECDのHealth Dataでも、依然として総合で一位を維持している[14]
医療崩壊の社会問題化

こうした制度上の「ひずみ」が具体的な社会問題となって現れたのが、2007年頃からのいわゆる救急搬送の「たらい回し」の事例の増加である[15]。ただし、マスメディアによる「たらい回し」という表現は、あまりにセンセーショナルで実態を正確に捉えたものではなく[注釈 1]、実際には、救急車は止まったままで、各病院に照会をかけており、照会件数の多い場合をマスメディアは「たらい回し」と呼んでいたのである[17]。しかも、受け入れ先が見つからない原因としては、「処置中」「医師不在」「ベッドがない」「専門外」「専門医がいない」などが多く、「医療安全」の問題のほか、医療政策・医療行政上の問題を背景にしたものであった[18]

また、高度医療化に伴い高価格の医療機器導入の負担や、新病院建設にかかった債務、度重なる医療制度改革による診療報酬減少に伴う医療収入減少等により、病院の経営危機、倒産、自主廃業に追い込まれるケースもみられるようになった。病院の閉鎖には、経営上の問題のほか、医師不足の問題とも密な関係にある。たとえば、後述の初期臨床研修義務化を引き金に、地域の病院に医師を派遣してきた大学医局が主導するかたちで、医療安全や勤務医の負担軽減を理由に、一つの科を一人で診ている病院から医師を引き上げ集約化を行い医師不足に対応するケースが増えている[19]。しかし病院の集約化を行っても、必ずしも予定通りに医師が集まらなかったり医師の退職が相次ぐなどして[20]、その地域の医療提供が成り立たなくなり、地域や科によっては身近なところに診療できる医院・病院が無くなるという事態にまで至っている[21]

このなかでは、地域住民からの誹謗中傷やマスメディアの報道による心労により医師が退職に追い込まれ地域医療が崩壊した事例もみられた[22]。内科医、麻酔科医など特定の専門科の負担も大きく集団退職するケースも増えており[23]、廃院の転帰を取る場合が散見されるようになっている。

こうした社会現象を背景に、マスメディアの報道も、医療従事者・病院を一方的に非難する論調に変化が見られるようになった。

兵庫県では統合・新設される北播磨総合医療センター小野市市場町)において、前身の小野市民病院の医師は2012年12月時点で33人いたが、2013年4月には18人まで減少すると見込まれている。内科に関しては、15名から4名に減少し、新規入院患者の受け入れは困難とされている[24]
医療政策・医療行政上の問題と対応
医療費抑制政策

1980年代半ばからの医療費抑制政策は、医療崩壊が現実味を帯びた2000年代に入っても変わることなく、とりわけ、小泉政権下では、社会保障費の自然増分が5年間で約1.1兆円削減された。この間は、診療報酬もマイナス改定が続き、2006年度には「郵政選挙」での圧勝を背景に-3.16%という史上最大のマイナス改定となった[25]。小泉政権以後も抑制政策は継続されたが、2009年の民主党への政権交代によって抑制政策からの転換が起き、2010年度の診療報酬改定は、わずか+0.19%とはいえ、10年ぶりのプラス改定となり、具体的な配分を決定する中医協では、急性期病院の勤務医の負担軽減と経営改善のために、財源の大半を入院診療に充てることが決定された。
しかし技術料を低く抑え、薬価差益により支えられていた医療は、厚生労働省・財務省・マスコミの思い込みにより薬価差益を失ったままであり、多くの手技は経済的になりたたないまま放置されているため、外科系の医師はその経済状況のため、年々減り続けている。[26]消費税が5%から8%に上がるが、診療報酬は基本据え置きまたは引き下げとなり、初診料と再診料を上げることで対応することとなった(本来は消費税を課税し、仕入れ分の消費税を還付されるべきであるが、税収を上げるため財務省厚生労働省とも改正を行わなかった)[27]
医師不足OECD諸国の人口あたり医師数(横軸)と受診回数(縦軸)[28]詳細は「医師不足」を参照

医師数抑制政策の始まりは、第二次臨時行政調査会が1982年7月にまとめた「行政改革に関する第3次答申―基本答申」にある[29]。同答申「社会保障」の「医療費適正化と医療保険制度の合理化等」の項の「医療供給の合理化」の2番目で「医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立する」と提言されたのである。この背景には、医師数過剰による医療費増大の懸念があった。答申を受けて、政府は同年9月の閣議で医師・歯科医師の養成計画について検討することが決定され、1984年以降、医学部の定員が最大時に比べて7%減らされることになった。

やがて、医師不足が社会問題化されるようになるが、厚労省は医師偏在説をとり絶対数の不足を認めることはなかった。しかし、2008年6月、舛添要一厚労相のもと「安心と希望の医療確保ビジョン」が打ち出され、「医学部定員削減」閣議決定の見直しとともに、医師養成数の増加へと政策転換がなされることになった。

それでも、医師養成には少なくとも10年かかるため、勤務医の労働環境は改善されるには至っておらず、労働災害としての過労死を医師にも適応させる事例も見られるようになっている[30]。さらに医師が集団辞職する事例なども、それは「病院が労働基準法に違反した過大な要求を行うからだ」と医療崩壊の文脈でとらえられるようになっている[31]

一方で、医師の過剰供給は保険制度の前提である経済の崩壊を招きかねないという慎重な意見もある。OECD諸国の中で、最も医師率が高いのはギリシャ(人口千人当たり6.3人)であるが、ギリシャ経済の崩壊の一因を担っているとされる。人口当たりの適正な医師数については、その根拠にたる研究がとても少なく、さまざまな論議が見られる事案である。
初期臨床研修義務化

従来、医師国家試験に合格した医師は、大学医局に研修医として所属することが多かった。そして、医局は集まった研修医を教育した後に人事権を把握している系列の地方の基幹病院に半強制的に派遣し、不本意ながら派遣された医師が往々にして地域医療を支えていた。この医局管理は地域医療の維持には有効であったが、行政側からは大学医局が病院の人事権を盾に好きなことをしているとしているとして、新聞や雑誌で「日本の医療改革には医局解体が必要」という意見が根強く存在していた。

1998年、関西医科大学研修医過労死事件を発端に研修医の立場見直し論が浮上し、厚労省の医師臨床研修検討部会での検討により2004年度からの初期臨床研修義務化が実施され、市中の総合病院でも研修医の初期研修ができるようになった。大学病院は、元々雑用ばかりで待遇の悪かったので研修医は激減した。医師数が減少してしまった大学医局は、系列の地方の病院に派遣していた医師を引き上げざるを得なくなり、また新たに地方病院に医師を半強制的に派遣することも出来なくなった。地方の基幹病院では医師が足りなくなり、集約化が進むことになり、病院によっては特定の診療科を閉鎖せざるを得なくなった。

加えて研修先を自由に選べる為に都市部の研修システムが充実した病院に研修医が集中し、教育環境の劣悪な病院には志望者が行かなくなった。以上のことから、初期臨床研修制度は医療崩壊の引き鉄となった[32][33][34][35][36][37][38]。つまり、従来は研修システムの充実とは無関係に医局との関係性で派遣されていた研修医が、さまざまな病院やその教育・研修システムを比較して研修医個人が良いと思う病院を選ぶ時代になった。

また、それまでの医学生は自身の専門となる診療科を決める際、実際の医療現場の労働環境を見ることは殆どなく、興味や憧れ、使命感に燃えて診療科を選択していた。初期臨床研修義務化に伴い、様々な診療科の現場に入り、その現場の現実を実体験することになり、過重労働がみられる診療科や訴訟リスクの高い診療科、QOMLの低い診療科を避けられるようになった。

元々当制度は、研修医の待遇や研修システムの改善、医師が自由に赴任先を選択できる自由度は増すというメリットはあったが、医療崩壊を加速するとして、病院や医学部、民医連は反対していたが[39]、行政主導によって開始されたものである。米国では効果をあげた制度であるが、元々医療資源に余力が少ない日本において、医師数を増やすなどの対策をせず当制度を開始したためにこのような新たな問題が浮上した。
女性の職場復帰支援体制の不備

女性の社会進出が著しく、医師の世界にも多くの優秀な女性が働くようになった ⇒[4]。しかしながら結婚、出産、育児に際し、医療現場で働くこととの両立が困難になり、医療現場から去らざるを得ない現状がある。このことも医療現場で医師が不足する一因であると言われている[40]。また一度医療現場から離れてしまうと復職が困難であることも一因であると言われている[注釈 2]。パート制や当直無しなど、女性にとって働きやすい勤務制度をとる医療機関も出てきているがまだまだ少数であり、更なる対策が求められている。
医療安全への過度な要求と医師?患者の対立構造の深化


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