医王寺
所在地東京都葛飾区柴又5-13-6
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度45分4.8秒 東経139度52分51.8秒 / 北緯35.751333度 東経139.881056度 / 35.751333; 139.881056 (医王寺 (葛飾区))
医王寺(いおうじ)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派の寺院。 1407年(応永14年)、観賢法印によって開山された。開山当初は「薬王寺」という名称であった。その後、国府台合戦の兵火で荒廃した[2]。 1538年(天文7年)の国府台合戦の終結後、ただちに源珍が中興したが、源珍の死後はまた荒廃してしまった[3]。 寛永年間(1624年-1645年)、近くの金蓮院の僧が再度中興した。その際に「医王寺」に改称した[2]。 元々は江戸川のすぐ近くに位置していたが、1915年(大正4年)に現在地に移転した[2]。 源珍(げんしん、寛正6年(1465年)-弘治3年(1557年))は真言宗の僧[4]。 源珍25歳のときに、高野山に入山したが、1521年(大永元年)に高野山で大火があり、その復興勧進のために、源珍は全国行脚することになった。行脚の途上、山中において脚気で動けなくなったところを村人に助けられ、恵比寿天像と蕎麦粉の寄進を受けた。源珍は蕎麦を食べながら、恵比寿天に21日間礼拝したところ、身体が回復したという[4]。 行脚再開後は、各地の農民に蕎麦の栽培を勧め、商人にも蕎麦の流通を勧めた。後に源珍は当寺に定住することになるが、この故事により「そば寺」と呼ばれるようになり、蕎麦店の信仰を集めるようになった。柴又七福神の恵比寿像もこれに由来する[4][2]。 当寺に安置している地蔵菩薩像「そば地蔵尊」は、源珍を模したものとされており、今もなお蕎麦店関係者が参拝に訪れるという[5] 戦前から昭和40年代までは、蕎麦店が結成した「えびす講」が盛んで、正月や縁日には蕎麦が無料でふるまわれたという[3]。
歴史
中興・源珍と蕎麦
交通アクセス
新柴又駅より徒歩2分(経路案内
脚注[脚注の使い方]^ 新編武蔵風土記稿 柴又村.
^ a b c d 葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区寺院調査報告 下』葛飾区教育委員会、1980年、34p
^ a b 医王寺の沿革
^ a b c 源珍僧都蕎麦供養恵比寿天勧進伝医王寺