医学と医療の年表
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医学と医療の年表(いがくといりょうのねんぴょう)では、医学医療技術の年表を取り扱う。
15世紀以前
紀元前

紀元前2600年頃

イムホテプが、エジプト第3王朝下に200種の病気の診断と治療に関する教科書を著した。


紀元前1500年頃 - 古代ギリシアのエーゲ海諸島のテーラ (Thera) でサフランが(通風)薬として使われた。

紀元前8世紀-6世紀 - 古代中国で『山海経』が編纂され、薬効を持つ草木・鉱物について記載された。

紀元前500年頃 - ススルタ(Sushruta, 古代インド)がススルタ大医典 (Sushruta Samhita) を著し、120以上の外科用器具、300もの外科手術法および8種類の手術区分について著述している。また、鼻ソギの刑に対して整形外科手術を施した。

紀元前420頃 - ヒポクラテスが、病気には自然に由来する原因があると主張し科学的医療の先鞭を付けた。またヒポクラテスの誓いを提唱した。

紀元前4世紀 - 古代中国の扁鵲が脈学を創始した。黄帝内経を元に、鍼灸の診断法と治療法について著された『難経』を著した秦越人は、おそらく扁鵲であるとされている。(伝説)

紀元前280年頃 - ヘロフィロスが神経系統を研究し、知覚神経と運動神経とを識別した。

紀元前250年頃 - エラシストラトス(Erasistratus、古代ギリシア)が脳を研究して、大脳小脳とを識別した。

紀元前200年頃

古代中国・戦国時代から前漢時代に『黄帝内経』が編纂され、『素問』(人体の生理や病理など)、『霊枢』(鍼灸などの医療技術)に関して記載された。

漢代に医書(『帛書』など)が多数存在し、それらが馬王堆第3漢墓張家山漢墓2基の副葬品として出土した。


紀元後

50-70年頃 -
ペダニウス・ディオスコリデス古希: Περ? ?λη? ?ατρικ??(: De Materia Medica libriquinque 『マテリア・メディカ』、『薬物誌』、『ギリシア本草』とも訳される)を著した。この著作はこの後1600年にもわたって利用され、近代薬学の先達となった。

180年 - ガレノス麻痺脊髄切断の関係を研究した。

1世紀頃 - 前漢後期から後漢前期あたりに秦越人が黄帝内経を元に、鍼灸の診断法と治療法について著された『難経』を著した。扁鵲が書いたとされているが、おそらくは扁鵲学派と呼ばれる集団によって編纂されたのではないかとされている。

2世紀前半 - 後漢の華佗が、麻沸散を用いた全身麻酔で開腹術を行った。

3世紀前半 - 後漢の張仲景が『傷寒雑病論[1]』(後の『傷寒論』と『金匱要略』)で急性の熱病の治療法を著した。

3世紀後半

王叔和(おう しゅくか、210年 - 285年)が『傷寒論』を編纂し、『脈経』を著した。

西晋皇甫謐(こう ほひつ、215年 - 282年)が『帝王世紀』、『黄帝三部鍼灸甲乙経』 を著した。


4世紀 - 東晋葛洪が医書『肘後備急方』を著した。

6世紀前半 - 陶弘景が『神農本草経集注』を編纂した。

7世紀 - で医書『千金要方』が編纂された。

610年 - 隋の巣元方(そう げんぽう)が『諸病源候論』を著した。

8世紀 - の官吏・王濤が漢方処方を『外台秘要方』として編纂した。

9世紀 - アル=ルハーウィーが『医師の倫理規約』を著した。

10世紀 - ライイのアブー=バクル・ザカリーヤ・ラーズィー (アル・ラーズィー) が臨床治療に基づいた一連の研究によりガレノスなどの見解を修正。没後に覚書が『医学集成』として編纂される。

11世紀 - 宋が国家事業として『傷寒論』、『金匱要略』、『金匱玉凾経』、『黄帝内経素問・霊枢』など、医書を校訂改編した(宋改)。

1000年頃 - アンダルシアアブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー (Abulcasis: Abu al-Qasim) が『解剖の書』(Kit?b al-Ta?r?f: Al-Tasrif) を著し、外科技術や各種治療法、臨床学、自ら設計した医療機器などについて論じた。

1010年頃 - イブン・スィーナー(アヴィセンナ:Avicenna)が、『治癒の書』(Kit?b al-Shif?': The Book of Healing) と『医学典範』(Q?n?n fi al-?ibb: The Canon of Medicine) を著した。

1170年頃 - イブン・ルシュド(アウェロエス:Averroes)が、『医学大全』(Kulliyat, ラテン語名:Colliget)を著した。

1242年 - イブン・アン=ナフィース (Ibn an-Nafis) が、心臓に左右の心室が存在することと、血流の小循環について著述した。

1249年 - ロジャー・ベーコン (Roger Bacon) が遠視を治療するための凸レンズ眼鏡について著述した。

14世紀 - グラナダのイブン・アル=ハティーブが天然痘、コレラ、腺ペストなどの流行病の医療現場での体験から、接触感染による伝染について研究する。

1396年 - 明の劉純が医書『玉機微義』を著した。

1403年 - ヴェネツィアが、黒死病に対して罹患者隔離を実行した。

1451年 - ニコラウス・クザーヌス (Nicholas of Cusa) が、近視を治療するために凹レンズ眼鏡を発明した。

15世紀 - 明の熊宗立が『医書大全』を著した。

15世紀 - イランのマンスール・ブン・ムハンマド・ブン・アル=ファキーフ・イルヤースがペルシア語による人体構造、循環器系(肺循環含む)、神経システムについて図示した『人体の解剖の書』を作成。

16世紀

年表:16世紀

16世紀初頭 - 商人にして医師・錬金術師のパラケルススが、神秘学を退けて、薬として化学物質と鉱物を利用する先鞭をつけた。

1515年 - の虞天民が『医学正伝』を著した。

1543年 - アンドレアス・ヴェサリウスが、De Fabrica Corporis Humaniを出版し、ギリシア医学の誤りを正して医学に改革をもたらした。

1546年 - ジローラモ・フラカストロ (Girolamo Fracastoro) が、伝染病は受け渡される種子のような何かに起因すると提唱した。

1553年 - ミシェル・セルヴェ (Miguel Serveto) が、肺を経由する血流の小循環について著述した。

1559年 - レアルド・コロンボ (Realdo Colombo) が、血流における肺の小循環についての詳細を著述した。

1578年 - 明の李時珍(り しちん、1518年 - 1593年)が52巻の『本草綱目[2]』(1590年刊行開始、1596年完結)で1,892種の薬、附方11,916点を編纂した。

1587年 - 明の?延賢(きょう えんけん)が医書 『万病回春』を著した。

17世紀

年表:17世紀

1603年 - ジローラモ・ファブリチ (Girolamo Fabrici) が、足の静脈を研究して、心臓への一方向へ流れるようにする静脈弁の存在を発見した。

1628年 - ウイリアム・ハーベーが、心臓を研究してExercitatio Anatomica de Motu Cordis et Sanguinis in Animalibusを著し、循環器系を解明した。

18世紀

年表:18世紀

1701年 - ジャコモ・ビラリニ(Giacomo Pylarini, イタリア)が、初の天然痘予防接種を試みた。

1747年 - ジェームズ・リンドが、柑橘類が壊血病を防止するということを発見した。

1763年 - クラウディウス・アイマンド (Claudius Aymand) が、初の虫垂切除に成功した。

1776年 - ジョン・ハンター (John Hunter) が、初の人工授精に成功。


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