この項目では、イソップ寓話について説明しています。YeLLOW Generationの楽曲については「北風と太陽 (YeLLOW Generationの曲)」を、E-girlsの楽曲については「北風と太陽 (E-girlsの曲)」をご覧ください。
まず、北風が力いっぱい吹いて旅人の上着を吹き飛ばそうとするが、かえって上着をしっかり押さえてしまった。 次に、太陽が燦々と照りつけると、旅人は自ら上着を脱ぎ、太陽の勝ちとなった。
『北風と太陽』(きたかぜとたいよう)は、イソップ寓話の一つである。ペリー・インデックスは46、アールネ・トンプソンのタイプ・インデックスは298である[1]。物事に対して厳罰で臨むよりも、寛容的に対応する方が良いという教訓として、広く知られている。また、音声学におけるサンプルテキストとしても選ばれている。目次 ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をする。まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から外套を脱いでしまった。
1 あらすじ
2 歴史
3 芸術において
4 音声学のサンプルテキストとして
5 その他
6 脚注
6.1 出典
6.2 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
あらすじ
歴史(英語版
数世紀後、アヴィアヌス
(英語版)によって、この寓話のラテン語版がDe Vento et Sole(風と太陽の寓話4)として初めて登場した[3]。初期の英語版や、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーによるドイツ語版(Wind und Sonne)のタイトルも「風と太陽」となっている。「北風と太陽」というタイトルが使われるようになったのは、ヴィクトリア朝中期以降のことである。アヴィアヌスの詩では、登場人物を北風の神ボレアースと太陽の神ポイボスとしており、ラ・フォンテーヌの『寓話』ではPhebus et Boree(ポイボスとボレアース)というタイトルになっている。ラ・フォンテーヌよりも早くフランス語の詩による寓話集を編纂していたジル・コロゼ(英語版)は、自分のエンブレム・ブックの中で太陽と風の戦いの寓話を2度取り上げている。その最初の作品である"Hecatomgraphie"(1540年)では、4行の物語に、冬の風の下で毛皮のマントを閉じている男と、太陽の光の下で裸になっている男の木版画が添えられている。寓話のタイトルはPlus par doulceur que par force(力よりも優しさで)となっている[4]。この絵は、コロゼの晩年の作品"Emblemes(1543年)の中の別の詩にも使われており、冬と夏で服装を変えるように、必要に応じて楽しみながら慎重に行動し、状況に応じて賢く対応することを説いている[5]。
ヴィクトリア朝時代に出版された本では、この寓話にPersuasion is better than force(説得は力に勝る)という教訓がつけられている[6]。しかし、他の時代には異なる方法で表現されていた。1667年に出版されたバーロウ版では、アフラ・ベーンがストア派の信念である「全ての情熱には中庸を選び、極端になると悪い結果を生む」という教訓を導き出した[7]。18世紀には、ヘルダーが「優れた力は人間を冷たくするが、キリストの愛の暖かさはそれを払拭する」という神学的な結論を出し[8]、ウォルター・クレインが1887年に発表したリメリック版では「真の強さは威勢の良さではない」という心理学的な解釈がなされている。ガイ・ウェットモア・カリル(英語版)がこの寓話をユーモラスに書き直した"The Impetuous Breeze and the Diplomatic Sun(衝動的なそよ風と外交的な太陽)では、「機転こそが学ぶべき教訓である。そこでは、人間と風の間で競争が行われており、太陽は目的を達成するための正しい方法を示しているだけなのである。」と結論づけている[9]。
ほとんどの例では道徳的な教訓が示されているが、ラ・フォンテーヌの『寓話』では、アヴィアヌスの詩の「脅しで始める者は勝てない」という結論にもあった政治的な応用を示唆している。例えば、韓国の太陽政策や日本とミャンマーの軍事政権との関係など、現代の外交政策において、この読み方の明確な影響を受けているものもある[10]。