北陸鉄道株式会社
Hokuriku Railroad Co.,Ltd.
北陸鉄道本社
種類株式会社
略称北鉄
本社所在地 日本
〒920-8508
石川県金沢市割出町556番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度36分8.8秒 東経136度38分17.5秒 / 北緯36.602444度 東経136.638194度 / 36.602444; 136.638194
北陸鉄道株式会社(ほくりくてつどう)は、石川県金沢市に本社を置き、石川県を中心として鉄道とバスを経営する中小私鉄である。鉄道を中心にした経営ではなく、主力は路線バス(高速バス・定期観光バスを含む)・貸切バス事業となっている。北鉄(ほくてつ)と略される。
筆頭株主は名古屋鉄道で、名鉄グループに属する。また、主要な連結子会社として、議決権の80.5%を有する小松バスのほか、事業所を分社化した北鉄金沢バスなどがある。 1943年(昭和18年)に、陸運統制令に基づき鉱山鉄道であった尾小屋鉄道を除く石川県下の鉄道およびバス会社をすべて統合して発足した。 だが社風が異なる会社を強引に合併したことから、発足後しばらく混乱を生じたり、また路線が各地に点在するなどしていたため、合理化も進まなかった。さらに合併の弊害として、1959年(昭和34年) - 1960年(昭和35年)に労使紛争が起こると、ストライキなどが頻発して、鉄道・バスが多く運休となり、観光を中心とした県下の経済に悪影響を与えた。また一時は、社長をはじめとする役員がすべて辞任するという、指導者不在の事態にも陥った。運輸省では事態の収拾を図るため、名古屋鉄道(名鉄)に命じて同社を子会社化し、支援を行わせることにした。 だが、石川県にはこの北陸鉄道の混乱に乗じて、近畿日本鉄道が北日本観光自動車(かつて金沢 - 粟津・山中間に路線を有した)というバス会社を傘下におさめ、北陸鉄道1社に県下の交通が独占されているのを解消しようと競合バス路線の開設を目論むなど、交通業界は無秩序の状態に陥った。 この混乱が終息するのは、1969年(昭和44年)に北日本観光自動車のバス路線拡大申請が運輸審議会で却下された辺りからで、北陸鉄道では以後、名鉄が同時期に行っていたように、鉄道・バス路線の整理を推し進めることになった。 なお、1968年(昭和43年)に全鉄道路線の廃止の意向を表明したことがあったが、地元住民や自治体の反対に遭い、浅野川線・石川総線(石川線・金名線・能美線の総称)は合理化努力により残すことになった(後に能美線は利用低迷で、金名線は路盤劣化により廃止)。
歴史
年表
1916年(大正5年)10月29日 金沢電気軌道株式会社設立[2]。
1919年(大正8年)2月2日 - 金沢電気軌道開業。
1920年(大正9年)7月15日 - 金沢電気軌道が金野鉄道を合併[3]。
1923年(大正12年)5月1日 - 金沢電気軌道が石川鉄道を合併[3]。
1941年(昭和16年)8月1日 - 金沢電気軌道から北陸合同電気(現在の北陸電力)に鉄軌道部門を譲渡。
1942年(昭和17年)3月26日 - (旧)北陸鉄道が設立。北陸合同電気の鉄軌道事業を継承。
1943年(昭和18年)10月13日 - (旧)北陸鉄道・能登鉄道・温泉電気軌道・金名鉄道・金石電気鉄道・湯涌自動車・七尾交通の7社が合併し、現在の北陸鉄道が設立される。本社を金沢市上胡桃町(現在の金沢市小将町)に置く。
1945年(昭和20年)
7月20日 - 小松電気鉄道を合併。
10月1日 - 浅野川電気鉄道を合併。
1949年(昭和24年)10月29日 - 石川線・能美線の相互直通運転を開始。
1952年(昭和27年)2月1日 - 金沢駅バスターミナル開業。
1955年(昭和30年)11月14日 - 松金線廃止[4]。
1959年(昭和34年)5月18日 - 北鉄病院を開設(1968年3月1日に閉鎖)。
1962年(昭和37年)5月1日 - 福井鉄道[5]、丸越とともに名鉄グループに加わる。
1967年(昭和42年)2月11日 - 金沢市内線を全面廃止[6]。