北陸線列車雪崩直撃事故
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北陸線列車雪崩直撃事故
発生日
1922年(大正11年)2月3日
発生時刻19時59分頃(JST[注釈 1][2]
日本
場所新潟県西頸城郡歌外波村(現・糸魚川市
路線北陸本線
運行者鉄道省
事故種類列車脱線事故
原因雪崩の直撃による
統計
列車数1
乗客数200人[3]
死者90人[4]
負傷者40人[4]
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北陸線列車雪崩直撃事故(ほくりくせんれっしゃなだれちょくげきじこ)とは、1922年(大正11年)2月3日に鉄道省北陸本線親不知駅 - 青海駅[注釈 2]の勝山トンネル西口で、雪崩の直撃によって発生した列車脱線事故である。この事故で列車の乗員乗客200名のうち、一般乗客1名、作業を終えた帰路の除雪作業員88名、鉄道職員1名のあわせて90名が死亡した[4]。発生した地区名から勝山大雪崩(かつやまおおなだれ)と呼ばれることもある[5]

日本国内で発生した雪崩による鉄道事故の犠牲者数では、発生以来現在に至るまで最悪の数字である[6]
事故の経緯
事故の発生子不知海岸の空中写真(1976年撮影)。
画像中央付近が雪崩の発生した勝山トンネル西口付近。海岸沿いに見える道路は国道8号である。断崖が連なる険しい地形であることが分る。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成事故以前、雪が降る前の現場付近の写真 東京朝日新聞大正11年2月5日2面親不知・子不知の概要については「親不知」を参照

当地は親不知・子不知と通称される、飛騨山脈(北アルプス)の端が日本海にぶつかり、海の浸食作用によって断崖となった地形が連なる地帯で[7][8]、古来より北陸道最大の難所といわれ、さまざまな遭難悲話が伝わっている[7][8][9]

1912年10月15日、北陸線は富山県泊駅から青海駅まで延伸開業した。親不知・子不知を通る鉄道路線の部分は、当時は単線・通票閉塞式で断続的にトンネルが連なり、断崖と海岸線の間を縫うような形で列車が運行されていた[2][10]

この事故が発生した1922年は雪の多かった年で、海岸沿いに位置する糸魚川町(当時)でも、軒まで埋まった家から雪の階段を作って戸外に出ると、電線が胸の高さにあり「電線で首を吊る」と形容されたほどの多量の降雪があった[11]。1月27日の積雪は市振・梶屋敷で1丈(約3.03メートル)余、青海・親不知で9尺(約2.73メートル)余を記録し、1月28日13時頃には親不知駅と青海駅の間で列車が雪崩に乗り上げ、機関車が脱線したが、除雪作業の結果2時間後に復旧した[12]

事故発生当日となった2月3日の天候は、明け方から気温が上昇して雪から雨に変わった[13][14]。1922年当時では糸魚川町近辺で2月に雨が降ることは珍しかった上に、夕刻の17時過ぎからは雨脚が強くなった[13][14]。このような気象条件は、傾斜面全部の雪が崩落する「全層雪崩」が発生しやすくなるものであった[13][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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