北陸地方
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「北陸」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「北陸 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

北陸地方のデータ
4県の合計
日本
面積25,205.60km2
国勢調査人口5,444,797
(2010年10月1日)
推計人口4,948,303人
(直近の統計[† 1]
人口密度196.3人/km2
(直近の統計[† 1]
北陸地方北陸4県の範囲

北陸地方(ほくりくちほう)は、本州中央部(中部地方)の日本海に面した地域を指す名称である。畿内から見て北方にある五畿七道北陸道に由来し、中世以前では、この地域を北国(ほっこく)と称していた。

現代においては北陸道と同じ範囲である新潟県富山県石川県福井県の4県[1]、あるいは新潟県を除く3県のことを指す[1]ことが多い。範囲を明確に指す場合、前者は「北陸4県[2]」または「新潟県を含む北陸地方[3]」、後者は「北陸3県」などと表現されることがある[4]。北陸3県の繋がりについては「北陸3県について」の節を参照。

本項では以下、特記の無い限り、北陸地方の範囲を北陸道(北陸4県)の範囲として扱う。
範囲

北陸地方の範囲は、新潟県から福井県まで東西におよそ400kmあり、細く長い。歴史的に古代の「越国」と呼ばれた地方を多く含み、若狭国から越後国までの範囲におよぶ。明治時代頃までは「ほくろく」と読まれていた。この北陸地方の道路を指して「越路」「北陸道」と呼ぶ事もある。

中央省庁各省の出先機関地方支部局)の管轄範囲は北陸地方を一律に管轄区域としているものばかりではない[† 2]財務省関東財務局など新潟県は関東の一部あるいは関東甲信越信越などとする例が多く見られる。一方で、国土交通省近畿地方整備局など福井県は近畿とする例もある。

スポーツ大会や国政選挙では人口が比較的少ないため長野県を含めた北信越地方(北陸信越)として組み合わせることが多い。
自然地理拡大
Clip 北陸地方の主要地形越後平野立山連峰(飛騨山脈)三方五湖

雪国として有名な地方である。シベリア寒気団が山脈にぶつかることで冬の大雪と春からの雪解け水をもたらす日本海側気候を呈している。特に新潟県南魚沼市上越市の周辺は、日本で五指に入る豪雪地帯となっており、スキー場が多く立地している。越後湯沢妙高高原など、大規模なスキー場も集中する。沿岸部と内陸部では積雪量に大きな差がある。代表的な山麓として、日本三名山に数えられる、立山連峰(富山県)と白山(石川県・福井県)が挙げられる。

山脈越後山脈三国山脈飛騨山脈親不知)、飛騨高地両白山地

弥彦山苗場山妙高山立山剱岳薬師岳黒部五郎岳初雪山白馬岳五竜岳鹿島槍ヶ岳呉羽山白木峰金剛堂山医王山白山能郷白山

阿賀野川信濃川姫川黒部川片貝川早月川常願寺川神通川庄川小矢部川手取川犀川九頭竜川北川

平野越後平野高田平野富山平野射水平野砺波平野邑知潟平野金沢平野福井平野

盆地:十日町盆地、六日町盆地大野盆地

富山湾七尾湾九十九湾若狭湾敦賀湾世久見湾矢代湾小浜湾、高浜湾、内浦湾

湖沼加茂湖佐潟ミクリガ池新湯釜池縄ヶ池木場潟柴山潟北潟湖三方五湖刈込池

自然災害

北陸地方が被害を受けた自然災害の主なもの。()内は主な被災県。
地震


1586年1月18日
天正地震(M8.1 死者多数)(全域)

1640年11月23日 大聖寺地震(M6 死者多数)(福井・石川)

1662年6月16日 近江若狭地震(M7.6 死者800人)(福井)

1666年2月1日 越後高田地震(M6.4 死者1,500人)(新潟)

1714年4月28日 信濃小谷地震(M6.4 死者100人)(富山・新潟)

1751年5月21日 越後・越中地震(M7.0 - 7.4 死者1,541人)(新潟)

1828年12月18日 越後三条地震(M6.9 死者1,681人)(新潟)

1858年2月26日 飛越地震(M7.1 死者209人)(福井・石川・富山)

1891年10月28日 濃尾地震(M8.0 死者約7,300人)(福井)

1948年6月28日 福井地震(M7.1 死者3,769人)(福井)

1952年3月7日 大聖寺沖地震(M6.5 死者7人)(福井・石川)

1961年8月19日 北美濃地震(M7 死者8人)(福井・石川)

1963年3月27日 越前岬沖地震(M6.9 死者なし)(福井)

1964年6月16日 新潟地震(M7.5 死者26人)(新潟)

1993年2月7日 能登半島沖地震(M6.6 死者なし)(石川)

2004年10月23日 新潟県中越地震(M6.8 死者67人)(新潟)

2007年3月25日 平成19年能登半島地震(M6.9 死者1人)(石川・富山)

2007年7月16日 新潟県中越沖地震(M6.8 死者15人)(新潟)

2024年1月1日 令和6年能登半島地震(M7.6 死者221人[† 3])(全域)

気象災害


1961年9月15日 - 17日 第2室戸台風(北陸全域)

1962年12月 - 翌2月 昭和38年1月豪雪(北陸全域)

1964年7月17日 - 20日 昭和39年7月山陰北陸豪雨(石川・富山)

1965年9月13日 - 15日 奥越豪雨(福井)

1967年8月26日 - 29日 羽越豪雨(新潟)

1980年12月 - 翌3月 五六豪雪(北陸全域)

1983年12月 - 翌3月 昭和59年豪雪(北陸全域)

2004年7月12日 - 13日 平成16年7月新潟・福島豪雨(新潟)

2004年7月17日 - 18日 平成16年7月福井豪雨(福井)

2005年12月 - 翌2月 平成18年豪雪(福井・新潟)

2005年12月22日 - 23日 新潟大停電(新潟)

2006年7月15日 - 24日 平成18年7月豪雨(福井・石川)

2011年7月26日-30日 平成23年7月新潟・福島豪雨(新潟)

歴史

北陸地方は、「日本海沿岸の地方勢力」として、他の地方からは半ば独立した歴史を歩んで来た。
古代

古代の北陸地方は越国(こしのくに)や陸道(くぬがのみち)と呼ばれており地方勢力の一つであった。「越国」とあるが中央勢力の影響圏外であり資料が少なく、統一された国家であったかは不明である。伝説の大蛇「八岐大蛇」が越国から現れたと伝えられ、出雲王権の特徴である四隅突出型墳丘墓が富山県や福井県などに見られることや、出雲崎(新潟県中部)などの地名の名残から、出雲文化の影響が強く見られる。

ヤマト王権大彦命が越国を鎮めると、次第に中央集権の枠組みに取り込まれていく。古代には北から高志深江国造、久比岐国造、佐渡国造(新潟県)、伊彌頭国造(富山県)、能頭国造、羽咋国造、加宜国造、加我国造、高志国造、江沼国造(石川県)、三国国造、角鹿国造、若狭国造(福井県)が設置された。ヤマト王権が中央集権型統一国家を成立させると、中央である畿内を防衛するため周辺に関所が設置された。当時の東方を守る三関は、「東海道鈴鹿関鈴鹿峠)」「東山道不破関関ヶ原)」「北陸道愛発関(愛発山)」を指していたので、律令時代には、若狭国嶺南)から東の日本海沿岸が越国と見なされていた。

越国は、ヤマト王権の勢力に組み込まれると詳細に3つの領域に区分された。令制国国府所在地を見ると、越前国武生越中国伏木高岡市北部)、越後国直江津上越市北部)に当たる。この国府所在地の位置により、当時のヤマト王権の支配領域は、東は概ね新潟県の上越地方までで、それ以北は領土外であった。しかし、後に支配領域を伸ばすと、天険たる鼠ヶ関越後山脈北陸道の北限となり、越国から分離される形で出羽国が設置された。越前国から分離した能登国成立の時期に開山し室町時代末期まで巨大な宗教都市として勢力を誇った平泉寺はこの時代の独立した集団として捉えられる。
中世
鎌倉時代から室町時代まで

親鸞直江津流刑され、蓮如が教団を拡大し、北陸地方は浄土真宗の地盤となり、仏教勢力が力を揮う事になった。その頂点が加賀の一向一揆越中の一向一揆であり、この他にも永平寺などの有名寺院が立地するようになった。浄土教を批判した日蓮も佐渡に流刑された。
戦国時代

戦国時代の北陸地方は、越後国は長尾氏、越中国は神保氏椎名氏、能登国は畠山氏、加賀国は一向一揆、越前国は朝倉氏が支配し、上杉謙信と一向一揆は激しく争った(尻垂坂の戦い)。本能寺の変以後は、上杉景勝上越)、新発田重家下越)、佐々成政富山)、前田利家金沢)、柴田勝家福井)などの本拠地となった。


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