小袖海岸(こそでかいがん)は、岩手県久慈市の久慈湾南東部に位置する海岸および景勝地。三陸復興国立公園および久慈海岸平庭県立自然公園に指定されている。 玉ノ脇川河口(地図
目次
1 概要
2 北限の海女
2.1 名称
2.2 第一次産業
2.3 第三次産業
2.3.1 アマリン
2.4 服装・道具
2.5 歴史
2.6 作品
3 アクセス
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 関連項目
6 外部リンク
概要
海岸段丘の段丘崖、花崗岩の岩礁、海食洞などと自然の植生が織り成す風景が観光客を呼び込んでおり、特につりがね洞(地図)が著名となっている。なお、かつてのつりがね洞は洞穴の中に釣鐘型の岩がぶら下がっていたが、1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸地震に起因する三陸大津波で消失した。
当地の漁業では、サケの定置網漁およびはえ縄漁、こうなごの敷き網漁などが行われている[3]。漁業集落は、二子(ふたご。地図)、大尻(おおじり。地図)、小袖(地図)が点在してあるが、漁港周辺に低地が少ないため、現在の各集落は海岸からやや離れた海岸段丘上に展開している。小袖漁村の東側に続く海岸一帯は三崎と呼ばれる地区で、小袖海岸と同様に同園の特別地域に指定されている[1]が、現在は久慈市宇部町久喜(地図)まで漁村はない。
大尻・小袖・久喜の各漁村において素潜り漁が行われており、「北限の海女」の名称で広く知られている。 当地の海女は、小袖海岸地区では、素潜り漁をしている様から「もぐり」と呼ばれている[4]が、久慈市街地では、採捕した海産物を担いで山道を越えて来て「三・八まぢ市日」などで売っていた様から「かつぎ」と呼ばれている[5]。 1959年(昭和34年)11月27日に当地の海女を題材にしたラジオドラマ「北限の海女」が放送されたことにより、その題名が当地の海女を指す名称として用いられるようになった[4]。題名は原作者の水木洋子が名付けたものである[4]。素潜りで伝統的に海女漁が行われているのは世界中で日本と韓国のみであり、その中で久慈市の海女は最北部に位置するとされる[6]。ただし、水木が国内はもとより世界的に詳細な調査をした上でこの名称を付与したのかどうかは不明。 なお、松前小島(北海道松前郡松前町)では、1888年(明治21年)から石川県鳳至郡輪島町(現輪島市)海士町からの出稼ぎで海女漁が行われており、1950年代に松前町に定住した海女が2017年時点でも漁を続けていることから[7]、久慈市の「北限の海女」が真に北限とは言えない。また、過去(1950年代中頃から1960年代)に久慈市以北(青森県八戸市、階上町など)にも海女がいたという情報・痕跡もある[要出典]。
北限の海女
名称