この項目では、京都市上京区にある神社について説明しています。
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北野天満宮
本殿(国宝)と透塀(重要文化財)および後門(重要文化財、画面左方)
所在地京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
位置北緯35度01分52秒
東経135度44分06秒
地理院地図 Googleマップ 北野天満宮
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。
通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。 祭神は以下の3柱。 右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子
目次
1 祭神
2 歴史
3 境内
4 主な祭事
5 文化財
5.1 国宝
5.2 重要文化財(国指定)
5.3 その他
6 梅と牛
7 敷地内の様子
8 現地情報
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 参考文献
11 関連図書
12 関連項目
13 外部リンク
祭神
主祭神
菅原道真公
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す
吉祥女 - 道真正室を指す
歴史 一の鳥居
永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。正暦4年(993年)には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。以来、北野天満宮は幕末の神仏分離令まで三院家(松梅院など)の社僧が、代々神官を務めた。
中世になっても菅原氏・藤原氏のみならず足利将軍家などからも崇敬を受けた。だが、当時北野天満宮を本所としていた麹座の麹製造の独占権を巡るトラブルから文安元年(1444年)に室町幕府軍の攻撃を受けて天満宮が焼け落ちてしまい、一時衰退する(文安の麹騒動)。
天正15年(1587年)10月1日、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。境内西側には史跡「御土居」がある。
江戸時代の頃には道真の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになり、寺子屋などで当社の分霊が祀られた。
1871年(明治4年)に官幣中社に列するとともに「北野神社」と改名する。「宮」を名乗るためには祭神が基本的には皇族であり、かつ勅許が必要であったためである。旧称の北野天満宮の呼称が復活したのは、戦後の神道国家管理(国家神道)を脱したあとである。
境内
本殿、石の間、拝殿、楽の間(合1棟)
慶長12年(1607年)に建立。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、権現造社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。
1998年に宝物殿の屋根が補修され柔らかい緑青の荘厳な屋根となったが、チタン製屋根が採用されており、最新技術を伝統建築に採用された代表例となっている。(新日鐵住金TranTixxii
東門(重要文化財)
主な祭事
毎月
二十五日祭 (25日)
1月
筆始祭 (1月2日)
2月
梅花祭 (2月25日)
4月
祈願絵馬焼納式 (4月19日)
6月
雷除大祭 (6月1日)