首都カドゥナ
高等弁務官/総督
1900年 - 1907年フレデリック・ルガード卿
1907年 - 1909年パーシー・ジロード卿
1909年 - 1912年ヘンリー・ヘスケス・ベル
1912年 - 1914年フレデリック・ルガード
変遷
成立1900年1月1日
南部ナイジェリア保護領との合併1914年1月1日
現在 ナイジェリア
北部ナイジェリア保護領(ほくぶナイジェリアほごりょう、英語: Northern Nigeria Protectorate)は、現在のナイジェリア北部にあたる地域にかつて存在したイギリスの保護領である。1900年にイギリス政府によって成立が宣言され、1914年に南部ナイジェリア保護領
と合併してナイジェリア保護領となった。1900年1月1日に北部ナイジェリア保護領の成立が宣言され、フレデリック・ルガード卿が初代高等弁務官に任命された。ルガードはナイジェリア北部に存在していたソコト帝国を占領し、ソコト帝国で行われていた伝統的な支配体制を用いて植民地支配を行う間接統治を導入した。しかし、北部と南部の保護領の間には財政基盤や統治機構の違いから軋轢が生まれた。
1914年1月1日に北部ナイジェリア保護領は南部ナイジェリア保護領と合併し、北部州としてナイジェリア保護領の一部となった。
歴史
背景「ソコト帝国」も参照
北部ナイジェリアには19世紀に成立したソコト帝国が存在していた。ソコト帝国はスルターンを頂点として各地にエミールを置くスルターン=エミール体制を確立させており、1880年までにはソコト帝国は北部ナイジェリアのほぼ全域と、ミドルベルトと呼ばれるニジェール川・ベヌエ川低地を支配していた[1]。
イギリスによる北部ナイジェリアへの進出は、ニジェール川の流路や西アフリカ内陸の都市との通商を求めて派遣された探検家たちであった[2]。