北海道炭礦汽船
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北海道炭礦汽船株式会社
Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.

種類株式会社
市場情報東証1部 1505
1949年5月16日 - 1978年10月3日
略称北炭
本社所在地 日本
103-0023
東京都中央区日本橋本町4丁目15番11号
設立1889年(明治22年)11月18日
業種卸売業
法人番号5010001056721
事業内容石炭の輸入販売
代表者松岡郁雄(代表取締役社長)
資本金2,100万円
従業員数9人(2022年6月23日現在)
外部リンク ⇒http://www.hokutan-coal.co.jp/
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北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせん、: Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.)は、石炭の輸入販売を行う日本の株式会社である。通称は北炭(ほくたん)。「礦」の字が「砿」「鉱」「鑛」などと記された資料もある。

かつては北海道で多くの炭鉱を経営していた。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。

政商とよばれた萩原吉太郎会長[1]も一時代を築いた三井の大立者として知られる。

また、慶應義塾大学理工学部へ土地を寄附した。

現在はロシアからの石炭輸入を中心とする専門商社となっており、北海道などにはグループ会社がある。

会社は1889年明治22年)に設立された。

本店は東京都中央区日本橋本町にあるが、1989年平成元年)まで本店は中央区日本橋室町にあった。かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であり、上場企業でもあった(証券コードは1505、上場廃止銘柄のコードが新規上場銘柄に付与されることはない)。
沿革

1889年明治22年)11月18日 - 堀基が中心となって北海道炭礦鉄道会社(ほっかいどうたんこうてつどうがいしゃ)を設立。政府から現在の三笠市にある幌内炭鉱と、幌内・小樽間の官営幌内鉄道払い下げを受け、また、集治監囚人使役できるなどの特権を与えられた[2]

1890年(明治23年) - 現在の夕張市夕張炭鉱を、現在の歌志内市に空知炭鉱を開設。炭鉱の開発と並行して炭鉱からまでの鉄道を建設し、小樽港(小樽市)、室蘭港(室蘭市)を石炭の積み出し港として整備した。石炭を輸送するを所有し、海運業も営んだ。

1893年(明治26年) - 夕張で北炭真谷地炭鉱を開設。

1896年(明治29年) - 商法の施行に伴い北海道炭礦鉄道株式会社に社名変更。

1902年(明治35年) - 楓炭鉱を開設。

1903年(明治36年) - 万字炭鉱を開設。

1906年(明治39年)10月1日 - 鉄道国有法に伴い、北海道の幹線鉄道約200キロメートルを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社に社名変更。

1907年(明治40年)11月1日 - イギリスビッカース・アームストロング社と共同して株式会社日本製鋼所を設立。

1909年(明治42年)7月23日 - 輪西製鐵場(現在の日本製鉄室蘭製鐵所)が操業開始。

1917年大正6年)2月 - 輪西製鐵場を北海道製鐵株式会社として分社化(1919年に日本製鋼所に合併)。

1926年(大正15年) - 石炭火力発電所である清水沢電力所を竣工。

1938年(昭和13年)10月6日 - 天竜鉱(夕張市)で爆発事故。地下約2000mまでに約300人が入坑しており[3]、うち161人が死亡。

1939年(昭和14年) - 天塩炭鉱を開設。

1942年(昭和17年) - 所有船舶を三井船舶(現在の商船三井)に譲渡し、海運業から撤退。

1949年(昭和24年)5月16日 - 東京証券取引所に株式上場。

1951年(昭和26年)4月1日 - 天塩砿業所を関連会社の天塩鉄道→天塩炭砿鉄道に移管。

1954年(昭和29年)1月28日 - 平和鉱業所第2坑の縦坑で落盤が発生。5人が死亡[4]

1958年(昭和33年)

3月 - 埼玉県戸田市に石炭化学研究所を開設。

8月27日 - 北海道不動産株式会社(現在のグランビスタ ホテル&リゾート)を設立。


1959年(昭和34年)4月1日 - STV札幌テレビ放送開局。

1963年(昭和38年)

夕張鉱業所第三鉱を分離し新夕張炭鉱開山。

空知炭鉱を分社化し、空知炭礦株式会社設立[5]


1965年(昭和40年)

2月22日 - 夕張炭鉱でガス爆発[6]、62人が死亡。

4月 - 石炭化学研究所を独立させ、北炭化成工業株式会社を設立。


1967年(昭和42年)4月 - 天塩炭砿鉄道株式会社が運営する天塩炭鉱が閉山。

1968年(昭和43年)

7月31日 - 平和炭鉱で坑内火災[7]、31人が死亡。

9月4日 - 夕張炭鉱で崩落[8]

10月1日 - 子会社の北炭商事株式会社(現在北商コーポレーション)を設立。

12月26日 - 夕張炭鉱で露天掘り開始[9]


1969年(昭和44年)5月28日 - 夕張2炭鉱で崩落[10]

1974年(昭和49年)4月1日 - 夕張鉄道から夕張鉄道線を継承し、鉄道事業を再開。

1975年(昭和50年)

夕張新炭鉱が営業出炭開始。

3月 - 平和炭鉱閉山[11]

4月1日 - 夕張鉄道線廃止。

8月 - 万字炭鉱が台風により水没[12]

11月27日 - 幌内炭鉱でガス爆発、24人が死亡[13]


1976年(昭和51年)3月20日 - 万字炭鉱閉山。

1977年(昭和52年)11月1日 - 夕張炭鉱閉山[14]


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