北海道炭礦汽船株式会社
Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.
種類株式会社
市場情報東証1部 1505
北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせん、英: Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.)は、石炭の輸入販売を行う日本の株式会社である。通称は北炭(ほくたん)。「礦」の字が「砿」「鉱」「鑛」などと記された資料もある。
かつては北海道で多くの炭鉱を経営していた。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。
政商とよばれた萩原吉太郎会長[1]も一時代を築いた三井の大立者として知られる。
現在はロシアからの石炭輸入を中心とする専門商社となっており、北海道などにはグループ会社がある。
本店は東京都中央区日本橋本町にあるが、1989年(平成元年)まで本店は中央区日本橋室町にあった。かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であり、上場企業でもあった(証券コードは1505、上場廃止銘柄のコードが新規上場銘柄に付与されることはない)。
沿革
1889年(明治22年)11月18日 - 堀基が中心となって北海道炭礦鉄道会社(ほっかいどうたんこうてつどうがいしゃ)を設立。政府から現在の三笠市にある幌内炭鉱と、幌内・小樽間の官営幌内鉄道の払い下げを受け、また、集治監の囚人を使役できるなどの特権を与えられた[2]。
1890年(明治23年) - 現在の夕張市に夕張炭鉱を、現在の歌志内市に空知炭鉱を開設。炭鉱の開発と並行して炭鉱から港までの鉄道を建設し、小樽港(小樽市)、室蘭港(室蘭市)を石炭の積み出し港として整備した。石炭を輸送する船を所有し、海運業も営んだ。
1893年(明治26年) - 夕張で北炭真谷地炭鉱を開設。
1896年(明治29年) - 商法の施行に伴い北海道炭礦鉄道株式会社に社名変更。
1902年(明治35年) - 楓炭鉱を開設。
1903年(明治36年) - 万字炭鉱を開設。
1906年(明治39年)10月1日 - 鉄道国有法に伴い、北海道の幹線鉄道約200キロメートルを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社に社名変更。
1907年(明治40年)11月1日 - イギリスビッカース・アームストロング社と共同して株式会社日本製鋼所を設立。
1909年(明治42年)7月23日 - 輪西製鐵場(現在の日本製鉄室蘭製鐵所)が操業開始。
1917年(大正6年)2月 - 輪西製鐵場を北海道製鐵株式会社として分社化(1919年に日本製鋼所に合併)。
1926年(大正15年) - 石炭火力発電所である清水沢電力所を竣工。
1938年(昭和13年)10月6日 - 天竜鉱(夕張市)で爆発事故。地下約2000mまでに約300人が入坑しており[3]、うち161人が死亡。
1939年(昭和14年) - 天塩炭鉱を開設。
1942年(昭和17年) - 所有船舶を三井船舶(現在の商船三井)に譲渡し、海運業から撤退。
1949年(昭和24年)5月16日 - 東京証券取引所に株式上場。
1951年(昭和26年)4月1日 - 天塩砿業所を関連会社の天塩鉄道→天塩炭砿鉄道に移管。
1954年(昭和29年)1月28日 - 平和鉱業所第2坑の縦坑で落盤が発生。5人が死亡[4]。