北海道拓殖鉄道
[Wikipedia|▼Menu]

北海道拓殖鉄道株式会社
種類株式会社
本社所在地 日本
北海道上川郡新得町拓鉄18番地
設立1925年大正14年)4月22日
業種陸運業
法人番号1460101003160
事業内容旅客鉄道事業、バス事業
代表者社長 中木平三郎
資本金30,000,000円
発行済株式総数600,000株
特記事項:1967年度時点(『私鉄要覧 昭和42年度版』16頁)
テンプレートを表示

概要
現況廃止
起終点起点:新得駅
終点:上士幌駅
駅数15駅
運営
開業1928年12月15日 (1928-12-15)
廃止1968年10月1日 (1968-10-1)
所有者北海道拓殖鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長54.3 km (33.7 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
最急勾配25

路線図

凡例


国鉄根室本線(旧線)


←根室本線(新線)


0.0新得駅




1.4南新得駅




佐幌川


5.8佐幌駅


十勝上川森林鉄道


10.5屈足駅


十勝川


14.1熊牛駅


熊牛隧道


十勝鉄道清水部線


16.1新幌内駅


十勝鉄道清水部線 鹿追駅


万代橋貨物駅


然別川


19.8中鹿追駅


21.0鹿追駅


23.8北笹川駅


25.1自衛隊前駅


28.7瓜幕駅


33.0中瓜幕駅


35.4東瓜幕駅


44.7中音更駅


音更川


国鉄:士幌線 1987廃止




54.3上士幌駅 -1987



テンプレートを表示

北海道拓殖鉄道(ほっかいどうたくしょくてつどう)は、かつて北海道上川郡新得町国鉄根室本線新得駅から分岐して、河東郡上士幌町の国鉄士幌線上士幌駅までを結んでいた鉄道路線およびその運営鉄道事業者である。通称は「拓鉄」[1]

鉄道は1968年に廃線となったが、企業としての拓鉄は新得町に本社を置く物流会社として存続しており、系列会社の北海道拓殖バス音更町)が十勝地方路線バスを運行している[1]
路線概要
北海道拓殖鉄道の経緯

北海道の民営鉄道は、炭鉱からの石炭輸送、または古くから賑わいを見せていた漁港と最寄りの国鉄駅を結ぶ目的で建設された事例が多いが、拓鉄はそれらと性格を異にし、鉄道の開通によって沿線に入植者が集まるだろうという目算の元、道内の商工業者が出資して発足した。社名もその計画を反映したものである。

1924年大正13年)に新得側から工事を始め、1928年昭和3年)に新得駅 - 鹿追駅間が開業した。足寄郡足寄町池北線(当時は網走本線)足寄駅までの延伸を見込んでいた。だが石北本線の開通で短絡の意義が薄くなったことや凶作続きで入植者が増えなかったことに加え、昭和恐慌で資金が不足したため、途中の上士幌駅まで開業して工事は中断した。

木材輸送で賑わったこともあったが、トラック輸送に切り替えられたことや沿線の人口が伸びなかったため、経営は苦境続きであった。そのため、中古のディーゼル機関車気動車を導入して運行費用の削減を図ったり、利用の少ない末端区間を廃止したりしている。しかし、設備の老朽化に対して資金を回すことができず、特に屈足駅 - 瓜幕駅間にあった熊牛トンネルは変状が進んで危険な状態となった。会社は改修に必要な資金を捻出できず、ついには札幌陸運局より異例の行政指導(老朽施設の改善要求)を受けたことから1968年(昭和43年)2月に熊牛トンネルを放棄し、新得駅 - 屈足駅間で通学列車を1往復運行するだけとなった。この通学列車の運行も同年7月初旬には停止され、同年10月に全線が廃線となった。7月末にはさよなら列車の運転があったが、この列車は新得駅 - 鹿追駅間を運転しており、なぜか放棄したはずの熊牛トンネルを通過している。

会社自身は廃線後も運送業者として存続している。また、バス部門は廃止前の1961年1月に子会社の北海道拓殖バス(1960年12月設立)に譲渡されて存続している。
国鉄北十勝線の計画

なお、国鉄でも改正鉄道敷設法別表142-3に「新得ヨリ上士幌ヲ経テ足寄ニ至ル鉄道」として北十勝線が計画され、147-2の「釧路国白糠ヨリ十勝国足寄ニ至ル鉄道(白糠?北進間が白糠線として開通)」と接続させて道東横断鉄道を形成する予定があった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:56 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef