「北海道標津高等学校」とは異なります。
北海道士別高等学校
北海道士別高等学校(ほっかいどう しべつこうとうがっこう)は、かつて北海道士別市南士別町にあった道立高等学校。1941年に高等女学校として開校し、後に道立高校となった。しかし少子化で生徒が減少し、閉校になった。 1941年に士別実科高等女学校として開校、1948年に道立に移管され、北海道立士別高等学校となった。 しかし少子化の影響で道教委は公立高校適正配置計画に定員削減を盛り込み[1]、1995年には一学級が減らされた[2]。市の検討委員会は2001年には市内3高の現状維持が適当としたものの[3]、2004年には「士別高校と士別商業高校は維持困難なら再編が望ましい」と結論を出した[4]。結局この2校は統合されることになり、士別高校は2008年3月31日をもって閉校となった。 2011年4月、道は道内の公共建築物の耐震化状況を発表、士別高校の校舎は解体予定とされた[5]。しかし解体工事の入札で最低価格が漏れた懸念があり[6][7]、入札が延期された[8]。 大東文化大学主催、文部省・朝日新聞社後援の「90全国高校新聞コンクール」にて、『士別高校新聞』第136号が文部大臣賞を受賞している[9][10]。
沿革
1941年(昭和16年) - 北海道士別実科高等女学校として開校
1943年(昭和18年) - 北海道士別高等女学校と改称
1948年(昭和23年) - 道立移管、北海道立士別高等学校と改称、男女共学化、上士別分校を開設
1950年(昭和25年) - 北海道士別高等学校と改称
1951年(昭和26年) - 剣淵分校を開設
1952年(昭和27年) - 上士別分校および剣淵分校がそれぞれ「名称不明」(後の士別東高)・北海道剣淵高等学校として分離独立
1976年(昭和51年) - 新校舎落成
2007年(平成19年) - 北海道士別商業高校と統合(統合校名は「北海道士別翔雲高等学校」)
2008年(平成20年) - 閉校
部活動
外局
放送局
新聞局
吹奏楽局
図書局
ボランティア同好会
文化系
演劇部
茶道部
美術部
体育系
卓球部
柔道部
野球部
陸上部
テニス部
バレーボール部(男女)
レスリング部
バスケットボール部(男女)
サッカー部
バドミントン部
スキー部
弓道部
ウェイトリフティング部
著名な出身者
岡田純一(早稲田大学スポーツ科学学術院教授、早稲田大学ウエイトリフティング部監督)[11]
北村浩史(道北日報社長)
佐々木隆博(衆議院議員、立憲民主党副代表)[12]
関稔(仏教学者)
高橋しん(漫画家)[13]
畠山みどり(演歌歌手)[14]
輪島功一(プロボクサー、元WBA・WBCスーパーウェルター級世界チャンピオン)[15]
渡辺英次(第3代士別市長、元士別市議会議員)[16]
渡辺長武(1964年東京オリンピックレスリング・フリー〈フェザー級〉金メダリスト)[17]
脚注^ 「士別高学級削減で会議 反対署名活動展開へ 出席者「生徒流出が心配」」『北海道新聞』1994年9月21日付26面(上A)。
^ 「なよろVSしべつ 共存共栄の道 6 減少する子供 地域への定着も低下 生徒確保に知恵を絞る」『北海道新聞』1995年6月28日付26面(上北)。
^ 「士別市内高校 3校とも現状維持を 市検討委が中間まとめ 「いずれも教育に特色」」『北海道新聞』2001年3月24日付24面(上北)。
^ 「士別高と士別商の再編も 市高校検討委 市教委に報告 少子化受け方向性」『北海道新聞』2004年3月30日付26面(上北)。
^ 「道内公共建築物の耐震化状況、市町村で学校改修進む」『北海道建設新聞』2011年4月14日付1面。
^ 「談合情報 「道議が価格もらす」 旧士別高解体工事、入札延期」『毎日新聞』2011年6月24日付朝刊25面(北海道)。
^ 「道解体工事 落札、最低価格と差額1000円以内3割 漏えいの可能性も」『毎日新聞』2011年7月2日付朝刊21面(北海道)。
^ 「談合情報 旧士別高解体工事、確認できず 入札を再公告」『毎日新聞』2011年7月27日付朝刊25面(北海道)。
^ 「北海道・士別に文部大臣賞 全国高校新聞コンクール」『朝日新聞』1991年1月15日朝刊、30ページ。
^ 「「90全国高校新聞コンクール」表彰式」『朝日新聞』1991年3月20日朝刊、30ページ。