北海道南西沖地震
[Wikipedia|▼Menu]

北海道南西沖地震
津波による被害を受けた奥尻島
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日1993年平成5年)7月12日
発生時刻22時17分11.7秒 (JST)[1]
震央 日本 北海道南西沖[1]
奥尻島北方沖)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度46.9分 東経139度10.8分 / 北緯42.7817度 東経139.1800度 / 42.7817; 139.1800座標: 北緯42度46.9分 東経139度10.8分 / 北緯42.7817度 東経139.1800度 / 42.7817; 139.1800[1]
震源の深さ35 km
規模   M7.8
最大震度   震度6:奥尻島(推定)
津波16.8m:奥尻島 初松前地区
地震の種類東傾斜及び西傾斜の逆断層
被害
死傷者数死者:202人
行方不明者:28人
被害総額1243億円1
被害地域北海道・東北地方北部
注1:北海道庁による
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示

北海道南西沖地震(ほっかいどうなんせいおきじしん)は、日本標準時1993年(平成5年)7月12日午後10時17分に、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8(Mw7.7)で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震源に近い奥尻島の揺れは震度6(烈震)であったと推定され、火災津波で死者202人、行方不明者28人の大きな被害を出した(このため、奥尻島地震[2]とも呼ばれる)。さらに、ロシアでも行方不明者3人。奥尻島の震度が推定になっている理由は、当時の奥尻島に地震計が設置されていなかったためである。1年半ほど後の1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)は都市部の建築物や土木構造物の倒壊や火災による被害が顕著であったのに対し、本地震は津波による被害が特徴的であった。
地震学的概要

震源は北緯42度46.9分 東経139度10.8分 / 北緯42.7817度 東経139.1800度 / 42.7817; 139.1800、深さ35kmであり、ユーラシアプレート北アメリカプレートのプレート境界のサハリンから新潟沖へとつながる日本海東縁変動帯にある奥尻海嶺直下で発生した。気象庁発表のマグニチュード (M) は7.8、モーメント・マグニチュード (Mw) は7.7。震源断層の一部は奥尻海嶺の東端に露出したと考えられているが、この地震の原因となった活断層は未確認である[3]
メカニズム

複数の研究機関によりさまざまな解析が行われた[4]

断層モデル:「東西方向に水平な圧縮軸を持つ逆断層」とする説のほか「破壊域の北端点では東傾斜、残りの北半分は緩やかな西傾斜、南半分は西傾斜[3]」の説もある。

破壊開始点(震源):東経139.183°、北緯42.780°、深さ20 km 破壊伝播速度は3.2 km/s

断層の長さ:120 km。余震域は南北に 150 km。

2 - 3つのアスペリティの破壊により生じた地震と解析されている。最初の破壊から20秒後南側の領域で次の破壊がおき、その10秒後に別の領域が破壊された、全体の破壊継続時間は40秒である[5]
地殻変動

直後の調査で全体として奥尻島は沈降した、沈降量は北側で約30 cm、南側で60 cmから70 cmであった[6]。しかし、島には海岸段丘が発達しており12.5万年前から0.9 m/1000年で隆起しているとされるが、どのような活動により隆起したのかは不明である[6]。地震から20年後の2013年に行われた調査では、北海岸は僅かに沈降、東海岸では10 cm未満の沈降が継続、西海岸で4 cmから8 cmの隆起[7]とされ、依然海岸段丘から読み取れる隆起活動には転じていない。
前兆活動

特異的な地殻変動や前震は観測されず、地震予知は行えていない。後日の解析により、1992年ごろより今回の震央付近の活動が活発化していることがわかった。また、1984年3月18日から5月10日にかけて奥尻島で最大M4.1を観測した群発地震[8]が発生していたが、1988年ごろまでは静かな状態が続いていた。
余震

7月20日 M5.1、8月8日 M6.5

津波

震源域が島のすぐ近くであったため、地震発生から数分で奥尻島に巨大津波が到達したことが、この地震の特徴となっている。また、地震発生の4分から5分後に、奥尻島の対岸にある北海道南西岸の瀬棚町大成町(いずれも現・せたな町[9])に到達した。尚地震発生が夜間であったため、襲来する津波を撮影した写真や映像は見いだされていない[10]

高い遡上高の津波を発生させた原因は、藻内西方沖約15 kmで発生した海底地すべりと推定されている[10][11]。また本地震による津波は、発震から約1時間後に能登半島、約3時間後に九州北部沿岸へ到達した[12]
主な遡上高
遡上高は、震源からの津波の直撃を受けた島の西側で特に高く、藻内地区で最大遡上高31.7 mを記録した[10]。なお、調査によっては30.6 m[13]。奥尻島の各地区における津波の高さ(波高)は、稲穂地区で8.5 m、奥尻地区で3.5 m、初松前地区で16.8 mに達した。津軽海峡で最も高い津波を観測した地点は、大間港(1.0 m)。
各地の震度

震度3以上を観測した地点は以下の通り[1]

震度都道府県観測所
6北海道奥尻町(推定)
5北海道江差小樽寿都
青森県深浦
4北海道函館倶知安室蘭苫小牧
青森県青森むつ
3北海道札幌岩見沢羽幌留萌帯広
青森県八戸
秋田県秋田

奥尻島では現在の震度階級で震度6弱?6強相当の揺れに見舞われた地域もあったとされる。
報道態勢北海道南西沖地震で流されたNHKの水中カメラハウジング


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:98 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef