北海道ちほく高原鉄道株式会社
Hokkaid? Chihoku K?gen Railway本社(画像右側のビル。2018年5月解体撤去[1])
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
〒090-0040
北海道北見市大通西1丁目5-4
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度48分16.52秒 東経143度53分48.85秒 / 北緯43.8045889度 東経143.8969028度 / 43.8045889; 143.8969028
北海道ちほく高原鉄道株式会社(ほっかいどうちほくこうげんてつどう)は、2006年(平成18年)4月まで北海道で鉄道路線ふるさと銀河線を運営していた鉄道事業者。沿線自治体などの出資による第三セクター方式で設立された、第三セクター鉄道の一つである。本社は北海道北見市大通西1丁目5番4号。 池田駅から北見駅までを結ぶ日本国有鉄道(国鉄)池北線は、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法による存続基準を満たさないとして、1984年(昭和59年)6月22日に第2次特定地方交通線に承認。この時点では厳冬期の安定したバス輸送が可能か調査が必要として保留となったが、1985年(昭和60年)8月2日に問題なしとして承認されることとなった[2][3][4]。 沿線自治体はあくまで国鉄・北海道旅客鉄道(JR北海道)による運営を前提とした存続運動を展開したが、存廃結論期限が迫る中、1988年(昭和63年)2月5日の個別協議では自治体による応分の負担もやむを得ない、つまり第三セクター鉄道化による存続へ方針転換した。その後の協議では基金制定などの諸準備が始められ、同年11月14日、池北線廃止による代替措置は第三セクター運営による鉄道輸送とすることを決定した[2][3][4]。 池北線は国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)による運営となっていたが、第三セクター鉄道化決定後はJRからの移行を円滑にすべく準備が急がれた。1988年(昭和63年)11月27日に「池北線運行対策準備会」を発足させて事業計画などを策定。1989年(昭和64年)1月5日には受け皿会社に北海道が2億円、民間事業者が1億円、沿線市町が1億円を出資し、商号を「北海道ちほく高原鉄道株式会社」とすることが決定した。路線名は公募され、同年(平成元年)1月20日に「ふるさと銀河線」とすることを発表。同年2月27日の池北線協議会で代替輸送業者は北海道ちほく高原鉄道とし、転換時期は同年6月4日を目処とすることが決まった[3][5][4]。 1989年(平成元年)2月28日の創立総会を経て、3月9日に北海道ちほく高原鉄道株式会社を設立登記した。3月18日にJR北海道北見運転区施設内に本社事務所を仮設し開業に向けた作業が行われた。JR北海道が提出していた池北線の廃止申請は3月29日付で認められ、翌3月30日には代替鉄道事業者認定書および第一種鉄道事業免許状が北海道ちほく高原鉄道に交付された。4月24日午前7時14分、CR70形気動車6両が北見駅1番線に到着。4月27日より試運転を開始し開業に備えた。6月3日、池北線ではさよなら列車の運転などお別れ行事が催され、80年におよぶ歴史に幕を閉じた[6][7][8][新聞 1]。 1989年(平成元年)6月4日、北見駅および池田駅より開業記念列車が出発。各有人駅でも出発式が催され熱烈な歓迎を受けた。置戸町中央公民館において北海道ちほく高原鉄道株式会社開業式典を挙行。北海道内唯一の第三セクター鉄道として、日本一長い第三セクター鉄道として、JR北海道池北線改め北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は新たなスタートを切った[6][9][7][10][11][12][新聞 1]。 当初の運行ダイヤは池北線のものを踏襲の上で全列車ふるさと銀河線内での運行となった。日中は2 - 3時間に1本の割合で利便性が良いとは言えず、北見駅および池田駅での他路線接続も不便であった。沿線の意向も汲んだダイヤ改正を同年8月6日に実施し、ワンマン運転の開始および上下13本の増便が行われた。快速列車「銀河号」が設定され、全線の所要時間は普通列車と比べて45分程度短縮された。同年度はこのほか2度のダイヤ修正が行われ、陸別から置戸方面への早朝便設定など利便性向上に努めた[13][14][15]。
発足までの経緯
発足から営業開始まで
営業開始後の動き
運行ダイヤ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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