北欧史(ほくおうし)では、一般に北欧と呼称されるヨーロッパ北部に位置する地域に関する歴史を詳述する。 バルト海を中心にして展開する北欧の地に人類が足跡を残したのはヨルディア期(紀元前10000年から紀元前6000年ごろ)で、バルト海東岸やデンマーク、ノルウェー北端のフィンマルクなど、ヴュルム氷期の終了とともに氷原から解放された地域だとされている[1]。彼らは南方の地よりトナカイを追い求めて移動をしてきた人々であり、後期旧石器時代の西欧文化の流れを汲んでおり、一定地域を巡回しつつ狩猟生活を送っていた[1]。シェラン島のリュンビュー文化
先史時代
アンシルス期(紀元前6000年から紀元前4500年ごろ)になると氷河はスカンディナヴィア半島の背梁部へと後退していき、各地で様々な文化が花開き、活発化した。主要なものとしてはマグレモーゼ文化、クンダ文化、スオムスエルヴィ文化(英語版)などが挙げられる[1]。これらの諸文化では細石器や原始的な石斧が用いられて狩猟が行われていたほか、イヌが使用されるようになったことが特筆される[1]。また、バルト海で採取される琥珀を用いた垂飾などの装身具もこのころから利用されるようになった[1]。その他、1972年にフィンマルクで発見され、世界遺産に登録されているアルタの岩絵が作成されはじめたのもこの頃からと言われている。
リトリナ期(紀元前4500年から紀元前400年ごろ)に入ると南方の先進文化の影響を受けつつ北欧の各文化はさらに発展を遂げる。気候の温暖化により海面上昇とともに貝類の繁殖が見られるようになり、デンマークのエルテベレ文化(英語版)などでは貝塚が形成されるようになった[2]。時期を同じくしてフィンランドなどではロシアから伝播した櫛目文土器の利用が見られるようになった[2]。ネルケ地方で出土した舟形斧が舟形斧文化の所以である。
中東の肥沃な三日月地帯で始まった農耕・牧畜が伝わった紀元前2500年には、エルテベレ文化を基盤としつつもそれまでの狩猟・漁撈中心の生活から農耕を中心とした小規模の集落からなる定住生活への移行が進み、同時にウシ、ウマ、ヒツジ、ブタといった家畜の利用が始まった[3]。紀元前2100年になるとイギリスのストーンヘンジに代表される巨石文化が伝播し、巨石墳を製造して合葬を行うトレヒテルベーケル文化(英語版)が形成された[3]。この時代に入ると石器類の製造技術にも飛躍的な発達が見られ、厚頭斧やフリントの打製短剣などが登場している[3]。紀元前1000年ごろよりユトランド半島中部や西部で単葬墳が見られるようになると次第に周囲へと広がって行き、単葬墳文化(英語版)が生まれる。また同じ頃、バルト海東岸やフィンランド西南部では舟形斧文化(英語版)(キウカイネン文化とも)が生まれている。