北条時実
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 凡例北条時実
時代鎌倉時代前期
生誕建暦2年(1212年
死没嘉禄3年6月18日1227年8月1日
別名武蔵次郎
幕府鎌倉幕府
主君藤原頼経
氏族北条氏得宗
父母父:北条泰時、母:安保実員の娘
兄弟時氏、時実、公義、他女子
妻正室:北条朝時の娘
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北条 時実(ほうじょう ときざね)は、鎌倉時代前期の北条氏の一族。鎌倉幕府第3代執権北条泰時の次男。母は継室安保実員の娘。妻は、後に謀反を企てたとして流罪に処された北条光時の妹。
生涯

第4代将軍・九条頼経の側近として仕えるが、嘉禄3年(1227年)6月18日、六堂供養を翌日に控えて御家人達が大勢鎌倉へ集う喧噪の中、家人である高橋次郎によって殺害された。享年16[1][2]。原因は不明だが、他にも仲間の御家人3人も殺害されている。高橋次郎は直ちに捕らえられ、即日腰越で斬刑に処せられた[1]。当日夜には時実の乳母父である尾藤景綱が出家している。

原因としては仕事上のトラブルなどが考えられている[1]。ただ、高橋家はこれで断絶したわけではなく、その系統は北条重時の家臣となって存続しているため、時実殺害には情状酌量すべき事情があったとも推測されている[3]

翌日の六堂供養はこの事件によって延期された。

この3年後の同日に異母兄の時氏も死去し[4][5]、後継の男子を失った泰時は、孫の経時を次期執権として養育することになる[6]
脚注

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^ a b c 高橋 2013, p. 8.
^ 上横手 1988, p. 74.
^ 高橋 2013, p. 9.
^ 高橋 2013, p. 12.
^ 上横手 1988, p. 75.
^ 高橋 2013, p. 14.

参考文献

上横手雅敬 『北条泰時』〈人物叢書〉(新装版)吉川弘文館、1988年 (原著1958年)。 

高橋慎一朗 『北条時頼』〈人物叢書〉吉川弘文館、2013年。 


更新日時:2022年1月5日(水)11:08
取得日時:2022/12/18 09:51


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