この項目では、島嶼について説明しています。本島嶼が所属する笠岡市の大字については「北木島町」をご覧ください。
北木島
東岸の大浦集落
所在地 日本
岡山県笠岡市
所在海域瀬戸内海
所属諸島笠岡諸島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度22分55秒 東経133度32分11秒 / 北緯34.38194度 東経133.53639度 / 34.38194; 133.53639
北木島(きたぎしま)は瀬戸内海にある笠岡諸島の有人島。岡山県笠岡市に属す。笠岡港から南に約15kmの地点にある。
地勢
面積:7.50 km2[1]
人口:625人(2022年10月1日時点)[1]
高齢化率:68.1%[1]
2019年に日本遺産に認定された笠岡諸島[2]では最大の島である。ただし、日本国内の有人島としては小さい部類に入る。島の北側に金風呂(かなふろ)と豊浦、東側に大浦の港があり、港の周辺には集落が形成されている。
島の岩盤は中生代白亜紀の花崗岩[3][4]からなり、島から産出する石材は北木石のブランド名で流通している。丁場と呼ぶ石切り場は良質の石を求めて地下深く掘られており、採掘をやめた丁場には水が溜まって写真(本頁下のギャラリー)のような丁場湖の景観を見せる。 海の見える小高い丘の上に古墳が3基現存しているので、古墳時代から人が住んでいたと思われる。享徳2年(1453年)に書かれた、真鍋氏系図(南東にある真鍋島に由来する豪族の系図)には「柴ノ島」とあるが、戦国末期と推定される書状には「北木」と書かれており、真鍋氏の一族が住んでいた[5]。江戸時代は1619年から備後福山水野氏の領地となったが、1698年以降は幕府領となった[6]。江戸時代1834年の天保郷帳では北木島の取れ高は約224石とされている[7]。しかし江戸時代の検地帳では島の田畑のランクは低く、島の経済は漁業に依存していた[8]。
歴史