北日本新聞
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北日本新聞
北日本新聞社本社
種類日刊紙
サイズブランケット版

事業者北日本新聞社
本社富山県富山市安住町2番14号
代表者駒澤信雄[1]
創刊1884年1月18日(中越新聞)
前身中越新聞、富山日報
言語日本語
価格1部 140円
月極 3,380円
発行数208,161部
(2022年6月、日本ABC協会調べ[2]
ウェブサイトhttps://webun.jp/
株式会社北日本新聞社
THE KITANIPPON SHIMBUN
本社所在地 日本
〒930-0094
富山県富山市安住町2番14号
事業内容新聞・雑誌・書籍の発行
設立1940年7月31日[3]
業種情報・通信業
資本金4億9500万円(2020年時点)
売上高97億9690万円(2021年3月期)
従業員数290人(2022年4月時点)
決算期3月
主要子会社北日本新聞開発センター
北日本新聞サービスセンター
富山シティエフエム
とやまソフトセンター
など
外部リンクhttps://www.webun-saiyo.jp/outline
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北日本新聞(きたにっぽんしんぶん)は、富山県地方紙である。朝刊専門紙で、富山県富山市に本社を置く株式会社北日本新聞社が発行。
概要

発行部数208,161部(2022年6月現在、一般社団法人日本ABC協会調べ)、県下普及率は53.86%(2019年時点[4])で第1位。特に県東部でのシェアが高い。日本新聞協会共同通信社加盟。

名実ともに富山県を代表する言論機関であり新聞以外にも『富山大百科事典』の刊行や地域文化行事への助成は数多い。

富山県は新聞の競争が激しく、北日本新聞以外にも正力松太郎が富山県出身であったことから進出した読売新聞石川県北國新聞系列である富山新聞、さらには北日本新聞が設立にかかわった北陸新聞をルーツとする北陸中日新聞などが展開している。

かつては朝夕刊セットで発行されていたが、2009年12月28日付をもって夕刊の発行を休止し[3]朝刊単独紙に移行した。1面コラムのタイトルは「天地人」、連載中の4コマ漫画は『ゴンちゃん』。

なお、1901年8月には高岡市で同名の『北日本新聞』を発行していたことがある(1903年12月廃刊)[5]
沿革北陸新聞については、北陸新聞を参照

1884年明治17年)1月18日 - 越中改進党党員の山野清平と関野善次郎が中心となり、中越新聞創刊[3][6]。最初は隔日刊であった[7]。創刊号は『藩閥政府に物申す』という批判記事を書いたため2日間の発行禁止処分となった[8]

1886年(明治19年)7月2日 - 中越新聞、月曜休刊の週6日発行に移行[9]

1888年(明治21年)7月25日 - 中越新聞を富山日報に改題[10]

1889年(明治22年)

3月16日 - 高岡商況(後の高岡新報)が創刊される[11]

4月5日 - 自由党系機関誌である北陸公論(後の北陸日日新聞)が創刊される[11]


1908年(明治41年)11月15日 - 福野町の豪農である田中清文により、政党政派に偏らぬ新聞として北陸タイムスが創刊される[12]

1918年大正7年)8月7日 - 民衆運動である米騒動を全国に打電した「高岡新報」が一時発禁となる[13]

この民衆運動は全国に飛び火し、結果として時の政権である寺内内閣を打倒することとなる。


1935年昭和10年) - 富山日報が政党の機関紙から脱し、編集長が「不偏不党、厳正中立」を宣言する[14]

1940年(昭和15年)

7月31日 - 北日本新聞社設立[3][10]。北陸タイムス会館(同年6月18日紀元二千六百年記念の一環として完成)を社屋として使用する[15](これに伴い、北陸タイムス会館は北日本会館と呼称を変えた[16]。)。

8月1日 - 言論統制下の新聞事業令に基づき富山日報、高岡新聞(1931年、高岡新報より改題)、北陸日日新聞、北陸タイムスの4紙が統合して北日本新聞を創刊[3][10]。8月中には最初の社章(〇に北を配したもの)が制定される[17]


1941年(昭和16年)12月1日 - 新聞業界で最初の共販制実施[18]

1945年(昭和20年)

4月1日 - 戦局ニ対処スル新聞非常態勢ニ関スル暫定措置要綱に基づき、終戦後の10月1日の廃止まで、1県1紙持ち分合同となる。富山県では北日本新聞に讀賣報知(現・読売新聞)、中部日本新聞(現・中日新聞)、毎日新聞朝日新聞が持ち分合同とした[19]

7月31日 - 中新川郡新川村(現・立山町)寺田の旧役場庁舎(一部2階建て)に疎開。1階(約50u)に工務部、2階(約33u)に総務、編集、営業の各部が入居した[20]

8月2日 - 米空軍による富山大空襲で社屋全焼[3]。疎開先の寺田工場で印刷、全国で戦災に遭った新聞社で唯一の無休刊記録を達成[21]

10月10日 - 社屋跡にて仮社屋建設着手[22]

12月21日 - 社屋跡にバラック建ての仮社屋竣工。12月23日から印刷開始、12月23日には本社も移転[22]


1946年(昭和21年)

6月14日 - 北陸夕刊創刊[23](テスト版は同年5月1日に発行。第1号は6月15日に発行。1959年3月31日をもって廃刊[24][25])。


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