北支那方面軍
創設1937年(昭和12年)8月31日
廃止1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位方面軍
所在地北支
編成地北京
通称号/略称甲
上級単位天皇直隷-大本営
最終上級単位支那派遣軍
担当地域北支
最終位置北京
主な戦歴日中戦争
ソ連対日参戦
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北支那方面軍(きたしなほうめんぐん)は、日中戦争勃発後の1937年(昭和12年)8月31日に編成された大日本帝国陸軍に於ける最初の方面軍である。司令部は北京に置かれ、一貫して華北方面を作戦地域とし終戦時まで北京に在った。 盧溝橋事件が発生、日中戦争が勃発し支那駐屯軍が第1軍に改編されると同時に第2軍も設けられ、それらを統括するため大本営直轄軍として発足したが、1939年(昭和14年)9月23日には新設された支那派遣軍の戦闘序列に編入された。
沿革
北支那方面軍の人事
歴代司令官
寺内寿一 大将(陸士11期、陸大21期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)12月9日
杉山元 大将(陸士12期、陸大22期):1938年(昭和13年)12月9日 - 1939年(昭和14年)9月12日
多田駿 中将(陸士15期、陸大25期):1939年(昭和14年)9月12日 - 1941年(昭和16年)7月7日
岡村寧次 大将(陸士16期、陸大25期):1941年(昭和16年)7月7日 - 1944年(昭和19年)8月25日
岡部直三郎 大将(陸士18期、陸大27期):1944年(昭和19年)8月25日 - 1944年(昭和19年)11月22日
下村定 中将(陸士20期、陸大28期):1944年(昭和19年)11月22日 - 終戦
根本博 中将(陸士23期、陸大34期):1945年(昭和20年)8月19日 - 復員
歴代参謀長
岡部直三郎 少将(陸士18期、陸大27期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)7月15日
山下奉文 中将(陸士18期、陸大28期):1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)9月23日
笠原幸雄 少将(陸士22期、陸大30期):1939年(昭和14年)9月23日 - 1941年(昭和16年)3月1日
田辺盛武 中将(陸士22期、陸大30期):1941年(昭和16年)3月1日 - 1941年(昭和16年)11月6日
安達二十三 中将(陸士22期、陸大34期):1941年(昭和16年)11月6日 - 1942年(昭和17年)11月9日
大城戸三治 中将(陸士25期、陸大36期):1942年(昭和17年)11月9日 - 1944年(昭和19年)10月14日
高橋坦 中将(陸士27期、陸大38期):1944年(昭和19年)10月14日 - 終戦
歴代参謀副長
河辺正三 少将(陸士19期、陸大27期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)4月14日
町尻量基 少将(陸士21期、陸大29期):1938年(昭和13年)4月14日 - 1938年(昭和13年)7月7日
武藤章 大佐(陸士25期、陸大32期):1938年(昭和13年)7月7日 - 1939年(昭和14年)9月30日
平田正判 少将(陸士25期、陸大34期):1939年(昭和14年)9月30日 - 1941年(昭和16年)3月1日
有末精三 大佐(陸士29期、陸大36期):1941年(昭和16年)3月1日 - 1942年(昭和17年)7月1日
中西貞喜 少将(陸士29期、陸大37期):1942年(昭和17年)7月1日 - 1944年(昭和19年)3月1日
徳永鹿之助 大佐(陸士32期、陸大41期) :1944年(昭和19年)3月1日 - 1945年(昭和20年)2月1日
岡田重一 少将(陸士31期、陸大41期):1945年(昭和20年)2月1日 - 1945年(昭和20年)8月12日
渡辺渡 少将(陸士30期、陸大39期):1945年(昭和20年)8月12日 - 終戦
経理部長
山本昇 主計中将:1939年(昭和14年)8月1日 - 1941年(昭和16年)3月1日[1]
吉野繁 主計中将:1943年(昭和18年)6月10日[2] - 終戦
所属部隊
方面軍創設時
第1軍
第6師団
第14師団
第20師団
野戦重砲兵第1旅団
野戦重砲兵第2連隊
野戦重砲兵第3連隊
第2軍
第10師団
第16師団
第108師団
第5師団
第109師団
支那駐屯混成旅団