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出典検索?: "北川陽一郎"
北川 陽一郎[1](きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日[1] - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)[1]。北海道[1]小樽市出身。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。日本俳優連合北海道地区総代。
人物・略歴
主な出演作品
映画
ゴジラシリーズ
ゴジラの逆襲(1955年 小田基義監督)
ゴジラ対メカゴジラ(1974年 福田純監督):海洋博工事現場の記者[1][2]
33号車応答なし
哀愁の街に霧が降る(1956年 日高繁明監督):学生
空の大怪獣 ラドン(1956年 本多猪四郎監督):警官[1]
地球防衛軍(1957年 本多猪四郎監督):第2ベーター号乗組員[1]
奴が殺人者だ(1958年 丸林久信監督)
大怪獣バラン(1958年 本多猪四郎監督):研究員[3]
コタンの口笛(1959年 成瀬巳喜男監督)
潜水艦イ-57降伏せず(1959年 松林宗恵監督):聴音兵B[4]
独立愚連隊(1959年 岡本喜八監督):伝令
野獣死すべし(1959年、須川栄三) - 捜査本部刑事
お姐ちゃんはツイてるぜ(1960年 筧正典監督):ビートの青年
大坂城物語(1961年 稲垣浩監督)
別れて生きるときも(1961年 堀川弘通監督):南北社の男
妻として女として(1961年 成瀬巳喜男監督):大学生
モスラ(1961年 本多猪四郎監督):国立核総合センター所員[1]
紅の海(1961年 谷口千吉監督):新聞記者
黒い画集 第二話 寒流(1961年 鈴木英夫監督)