きたじま よしとし
北島 義俊
生誕 (1933-08-25) 1933年8月25日
日本 東京都
死没 (2024-02-13) 2024年2月13日(90歳没)
出身校慶應義塾大学経済学部
職業実業家
配偶者北島喜代子(旧姓:住友)
子供北島義斉(長男、大日本印刷社長)
北島元治(次男、大日本印刷専務)
親北島織衛(父、元大日本印刷社長)
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北島 義俊 (きたじま よしとし、1933年〈昭和8年〉8月25日 - 2024年〈令和6年〉2月13日)は、日本の実業家。大日本印刷前会長。
第4代社長の北島織衛の長男[1]。妻は住友元夫の長女・喜代子。息子は北島義斉(第6代大日本印刷社長)、北島元治(大日本印刷の専務執行役員)[2]。
略歴
1958年
3月 - 慶應義塾大学経済学部卒業。
4月 - 富士銀行入社。
1963年5月 - 大日本印刷入社。
1979年12月 - 第5代社長就任。前任は父で大日本印刷中興の祖でもある織衛。
2010年 - 日本デジタルコンテンツ協会
2010年3月期の有価証券報告書で、北島義俊の2010年3月期の報酬が7億8700万円だったと明らかになった。この報酬はこれまで明らかになった中では、日本人最高額である。報酬の内訳は、大日本印刷からの基本報酬が7億1000万円で大半を占めた。[6]。また、トップと社員(従業員平均年収647万円)の「年収格差
」は122倍と、こちらも日本人トップとの差では最高であった[7]。