北島健二
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出典検索?: "北島健二" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年3月)

北島 健二
別名健ちゃん、ケニー
生誕 (1958-07-20) 1958年7月20日(65歳)
出身地 日本東京都世田谷区
ジャンルロック
J-POP
ハードロック
ヘヴィメタル
職業ギタリスト
作曲家
担当楽器ギター
ボーカル
活動期間1977年 -
共同作業者原田真二&クライシス
FENCE OF DEFENSE
水樹奈々/cherry boys
PEARL
公式サイト ⇒kitajima kenji official website
レッド・ツェッペリン [1]

北島 健二(きたじま けんじ、1958年7月20日 - )は、 東京都世田谷区出身のギタリストミュージシャン。愛称は「健ちゃん」、「ケニー(KENNY)」。
経歴

実家は魚屋。小学校5年のとき兄の影響でギターを始める。東京都立大学附属高等学校出身。高校の先輩に向谷実うじきつよし、同級生に織田哲郎がいる(ちなみに織田哲郎は高校時代に北島のギターを聞いて、ギタリストになることを断念したという)。

19歳の時、音楽事務所ビーイングに所属し、プロギタリストとしての活動を開始。1979年舘ひろし&セクシーダイナマイツのメンバーを皮切りに、織田哲郎、長戸秀介長戸大幸の弟)と WHY を結成。1979年EPICソニーよりアルバム『WHY』でデビュー。シングル1枚、アルバム1枚リリースし解散。1981年には、日本コロムビアよりソロアルバム「反逆のギター戦士」を発売。WHY解散後は、スタジオ・ミュージシャンとして(主に浜田麻里アン・ルイス尾崎豊亜蘭知子等)数多くのセッション、レコーディングをこなす。

1985年、同様にスタジオミュージシャンとして活躍していたベーシスト西村麻聡、ドラマー山田わたるFENCE OF DEFENSE を結成し、1987年6月21日、EPICソニーよりシングル「フェイシア」、アルバム「FENCE OF DEFENSE」でデビュー。その後、同じギタリストの葉山たけしに織田哲郎のサポートミュージシャン及びビーイング入りを勧める。

1987年には、ヤマハよりオリジナルカスタムメイドギターKK-1のプロトタイプが制作され、1990年に一般向けに市販される。その傍ら、数多くのライブ、レコーディングに参加。1997年には田村直美の再結成PEARLトニー・フランクリンカーマイン・アピスらと共に参加。楽曲提供。

2003年より水樹奈々のライブバンド「cherry boys」参加、楽曲提供。

TM NETWORKのデビュー初期の頃からライブのサポートメンバーとして参加していたが、後に自身のライフワーク優先のために、後任としてB'zの松本孝弘をTM NETWORKに紹介した。

ドラムの心得もあり、ソロ2作目『A CRIMINAL AESTEETICS(ギター犯罪美学)』の「Toy Town」で本格的な演奏を披露している他、FENCE OF DEFENSE III 2235 ZERO GENERATIONのレコーディング(収録はされていない)[1]や、水樹奈々のライブ、LIVE MUSEUMでは自身の敬愛するレッド・ツェッペリンジョン・ボーナムの影響そのままのフレーズを叩いた。(曲はHeaven Knows) [2]
自身の哲学

楽器に対してロマンや幻想を一切抱かないタイプと語っている。ヴィンテージギターには一切興味がないという。アナログ、デジタルということにも全くこだわっていない。面白いもの、良いものがあれば値段、質に関係なくどんどん使うという。プロになる前に購入し、80年代に廃盤になっているボスのグラフィックイコライザー「GE-10」は30年経った今でも使用している。

但し、アンプに関してはこだわりがあり、エフェクターが搭載されているものを好まない。主にマーシャルを使用しているが、アンプで歪ませたりは原則せず、常にクリーンの状態で、「過大入力でアンプに無理をさせる(「BOSS ユーザーズグループマガジンVOL.3」より)」状態で、足元のエフェクターにて音を作っている。
使用機材

(近年のアイテムはライブ会場で視認、あるいは「Player」誌2009年12月号P180-182参照の上で記述。)

エレクトリックギターヤマハARTが製作したシグニチャー・モデルを主に使用している。

ヤマハ・MG-M Custom Pro (Blue)(メインギター)

1994年頃、当時のヤマハのリペア担当者が何度かライブに足を運んだ際、「こういう素材を組み合わせたら北島さん好みの音になるのでは」と、市販には無いオリジナルの組み合わせで勝手に制作されたギターで、試しに使ってみたらかなり感触がよく、現在に至るまでメインギターとして使用されている。本人はボディの色が気に入ってないらしく、塗りなおそうと思っていたらしいが、手間がかかることと音色が変わってしまう可能性がある為、そのままになっている。12フレットのポジションマークに"KEN"のインレイがある事から、通称YAMAHA MG-KENとも呼ばれている。(MG-Mの末尾のMは松本の頭文字で、松本孝弘モデルのMG-M Customがベースである事がわかるが仕様は異なり、ボディーカラー、エボニー指板、ゴールドパーツ等ど見た目だけでも大きな違いがある。指板の変更はサウンド特性にも影響があり、本来なら北島のために仕様を変更して制作されたこのモデルは、MG-Mシリーズとは別物であると言っても過言ではない。)


ヤマハ・SG-Proto type(RS)

SG-1000をベースにしたモデルであるが、ボディのシェイプ、ヘッドのインレイ、YAMAHAロゴが通常のSGと異なる。ブリッジはクローム、セレクターが下のカッタウェイ部分にある。トラスロッドはフロントのピックアップを取り外して行う設定になっている。


ヤマハ・AES-920(Black gray)

ヤマハ・KK-1(Cherry Red)北島健二シグネチャモデル

ヤマハ・PACIFICA 912J(FB)

ヤマハ・PACIFICA 12 Strings(FBL)

フェンダー・ストラトキャスター・アメリカン・クラシック (Black Holoflake)

ギブソン・レスポール・カスタム

1987年頃 - 1995年頃は、オリジナルカスタムメイドモデル:ヤマハ・KK-1をメインに使用し、それ以外にはヤマハ・RGX(デビュー当時)、ヤマハ・RGZ-I(ピックアップセレクターが3スイッチにカスタマイズされた特注モデル)などを使用していた。


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