北岳
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この項目では、日本第二の高峰である北岳について説明しています。中国の三山五岳のひとつである北岳については「恒山」をご覧ください。

北岳
南南西にある中白根山から望む北岳。

標高3193.2[1] m
所在地 日本
山梨県南アルプス市
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分28秒 東経138度14分20秒 / 北緯35.67444度 東経138.23889度 / 35.67444; 138.23889座標: 北緯35度40分28秒 東経138度14分20秒 / 北緯35.67444度 東経138.23889度 / 35.67444; 138.23889
山系赤石山脈
種類隆起
初登頂1871年 (名取直江)[2]
OpenStreetMap
プロジェクト 山
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北岳(きただけ)は、山梨県南アルプス市にある標高3193 m[1]の山。赤石山脈(南アルプス)北部に位置し、富士山に次ぐ日本第2位の高峰である[1]
概要

富士山に次ぐ日本第二の高峰であり、火山でない山としては日本で最も高い。日本百名山[3]新・花の百名山[4]及び山梨百名山[5]に選定されており、同じく日本百名山の一峰の間ノ岳日本二百名山農鳥岳とともに白峰三山を構成し[6]、「南アルプスの盟主」とも呼ばれる[7]名峰であり、登山者からも飛騨山脈(北アルプス)の槍ヶ岳穂高岳剱岳などに並んで人気を誇る。当山から中白根山を経て間ノ岳への約4 kmの稜線は「天上の散歩道」と呼ばれる。野呂川 (早川支流) の源流の山であり、山体は他の県と接しておらず山梨県内に含まれる。全山古生層の堆積岩から成る[8]。山体の東側斜面は北岳バットレスと呼ばれる岩壁があり、登攀対象ともなっている。
人間史毛無山より白峰三山を望む
左から農鳥岳間ノ岳、北岳

古くから、北岳、間ノ岳農鳥岳一帯の山体は、「白い雪をかむった山」という意味で白根山または白峰山と呼ばれた。平安時代前期の和歌集『古今和歌集』では「君すまば甲斐の白嶺のおくなりと雪ふみわけてゆかざらめやは」と詠われ、平安期の『後拾遺和歌集』では、「いづかたと甲斐の白ねは知らねども、雪降るごとに思ひこそすれ」と詠まれた。鎌倉時代に成立した軍記文学『平家物語』では「北に遠ざかりて雪白き山あり、問へば甲斐の白嶺といふ」と記された[9]

江戸時代後期に成立した甲斐国地誌甲斐国志』では、「南北に連なりて三峯あり、其北の方最も高き者を指して今専ら白峯と称す」と記された。南北に連なる白峰山の、一番北にあることから北岳と呼ばれるようになった[8][10]。現在では三つの峰それぞれを1つの山として取り扱っているが、これらの山々を合わせて白峰三山(しらねさんざん)と呼ぶこともある[6]

また、江戸時代に制作された甲斐国絵図類においても白根岳は富士山八ヶ岳とともに冠雪や雲上表現、登山道の省略など神格表現で描写されており、甲府盆地を抱く特殊な霊山として認識されていたと考えられている[11]

1964年(昭和39年)6月1日には、赤石山脈の多くの山域が南アルプス国立公園に指定され、山の上部はその特別保護地区、山腹は特別地域となっている[12]。1980年(昭和55年)には北沢峠を越える南アルプススーパー林道が開通[13]し、その後長野県と山梨県の両方向から、登山及び観光用のバスが運行されるようになった。

2004年(平成16年)10月15日には国土地理院が最高点の標高を3193 mに改定[14]。それ以前標高3192 mと公表されていたが、山頂の三等三角点 (3192.18 m)[15]より南の岩盤の方が約80 cm高いことが確認されたためである[14]
登山史・登攀史

1871年(明治4年)に、巨摩郡芦安村南アルプス市芦安)の修験者である名取直江が、広河原から白根御池を経由して登頂し、里宮・中宮・奥宮を造り開山したとされる[2][16]。これ以後、北岳登頂が多くの登山家によってなされてゆく。

1902年(明治35年)8月23日には、イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンが登頂し、1904年(明治37年)に日本を再訪問した際に再登頂した。この時、間ノ岳と仙丈ヶ岳にも登頂した[17]。1905年(明治38年)には伊達九郎らが、白根御池から稜線ルートにて登頂[18]。日本山岳会初代会長である小島烏水は1908年(明治41年)7月に登頂し、山頂に寛政7年(1795年)の年号が彫られた石祠を確認した[2]。積雪期に初登頂が成されたのは1925年(大正14年)3月22日のことである[9]。 当時京都三高山岳部であった西堀栄三郎桑原武夫ら4人が成し遂げた[9]

北岳バットレス登攀の動きも積雪期初登頂から少しして見られるようになる。初登攀は1927年(昭和2年)の7月18日[19]京都大学の高橋健治ら4人が第5尾根より無雪期に初めて登攀した[19]。初登攀から7年後の1934年(昭和9年)12月27日には、立教大学の浜野正男、榎本忠亮が東北尾根より積雪期の初登攀をした[19]。7つの岩稜の中で最後まで残されたのが積雪期中央稜である。この登攀が行われたのは戦後になってからで、1958年(昭和33年)に奥山章、芳野満彦らが積雪期初登攀を成した[19]。中央稜の初登攀は松濤明によって1942年7月30日に成された[19]。松濤はこの時20歳、飛騨山脈南部の槍ヶ岳北鎌尾根にて死亡する7年前だった。

1962年(昭和37年)、野呂川林道(後の南アルプススーパー林道の一部)開通により、山麓の広河原までの往来がしやすくなった。登山客が増加するきっかけとなった。

登頂を目指して活発に登山が行われた明治大正時代、1924年(大正13年)に登山者のための山小屋が造られた[18]。それから54年後の1978年(昭和53年)7月には、山梨県北岳山荘を建造した[20]

第126代天皇徳仁は登山を趣味として国内の多くの山へ登り、立太子前の1987年(昭和62年)に日本山岳会に入会した。[21]北岳登頂は同年8月11日、白峰三山縦走の際に果たしている。
地理

赤石山脈の北部に位置し、白根山系の北端となっている[22]。山脈の主要山系である赤石山系とは野呂川を挟んで隔たっている[22]。北岳の南方の稜線上には同じ白根山系に属する間ノ岳農鳥岳白峰南嶺の山々が連なっている[22]。東側には池山吊尾根[23]、北側には小太郎山のある小太郎尾根が延びる。北岳を含む白峰三山の稜線は赤石山脈の主稜線からは外れており、間ノ岳の西に位置する三峰岳で派生した支脈である。また北岳は野呂川の源流となっており、周囲を取り囲むように流れている。

山体は中生代の地層の堆積岩から構成される四万十層群に属する[24]。赤石山脈自体がこの四万十層群に属するという傾向がある[24]。北岳山頂部はやや険しい山容を示すが、これは石灰岩チャート(角岩)、海洋玄武岩などの岩石が構成する混合岩石層となっているためである[25][26]。これらの岩石は硬く侵食を受けにくく、よって赤石山脈ではあまり見られない鋭い峰を造る[26]。後述の北岳バットレスも石灰岩とチャートで構成され、なだらかな尾根の続く赤石山脈において、周囲とは異なった岩石が構成要素となっている[25]。また、北岳バットレスの岩石は海洋性のものであり、隆起前に堆積した海洋生物の化石が観察される[27]。一方、小太郎尾根はなだらかな山容を示し、これは泥岩や砂岩などの岩石が構成要素となっているからである[25]

地形には、褶曲構造が多く見られることが特徴として挙げられる[6]。褶曲構造は内的営力による造山運動が形成の原因である。一方3 kmほどしか離れていない間ノ岳では圏谷(カール)が見られる。これは、外的営力による侵食運動が形成した氷河地形の一つである。他にも小太郎尾根には二重山稜が見られる[28]
周辺の山

赤石山脈の北部に位置し、以下が近接する主な山である。

山容名称標高/m三角点等級
基準点名[15]北岳からの
方角と距離/km備考
甲斐駒ヶ岳296700(一等)「甲駒ケ嶽」
(2965.58 m)北 9.3日本百名山
仙丈ヶ岳3032.56二等
「前岳」北西 7.1日本百名山
鳳凰山284000(停止)東北東 6.7日本百名山、観音岳
小太郎山2725.08三等
「小太郎岳」北 2.9小太郎尾根
北岳319300(三等)「白根岳」
(3192.18 m) 0日本百名山
新・花の百名山
八本歯ノ頭292000なし南東 0.8池山吊尾根の小ピーク
中白根山305500なし南 2.0別称「中白峰」
間ノ岳3189.50三等
「相ノ岳」南 3.3日本百名山
農鳥岳3025.90二等
「農鳥山」南 5.9日本二百名山
小仙丈ヶ岳より見た赤石山脈北部・北岳周辺の山々(2017年10月撮影)
主な山との位置関係

南アルプスの最高峰で、以下が周辺の各山域の主要な山との位置関係である。

山容名称標高/m三角点等級


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